6月5日(土)
朝9時起床、先ずは洗濯を済ませる。今日はDiegoからランチに招待されているが、矢張り起きてみれば空腹にして、東君が炊飯器を稼動する故、以前購入したポパイ印の法蓮草缶があるのを思い出し、これを使って何か作ろうと決意。
開けてみれば矢張り不味い事この上なく、よくもまあポパイは斯様に不味い代物を食えたもんだと感心。キムチを合わせてキムチ法蓮草炒飯にする事で、何とかこの不味さを見事克服。東君は今朝も昨日に続きステーキ定食。
今日は午後に時間がある故、東君は釣り(津山さんと東君は、道中のドライブインにて釣り竿を購入済み)、津山さんはMelyndaの云う「膨大な量の50セントのカスコーナーがある中古レコード屋」へでも行ってみようかと云っておられ、私はギターショップにてネックを探したい処と、各々に思惑あり。
正午、Diegoがお迎えに来てくれ、例によってステイを希望するはじめちゃんを残し、我々3名とJonの計4名にてHeight Street近くにあるDiego宅へ。Diegoは在米アルゼンチン人にして、合気道等に精通する日本好きのベーシストなれば、実は鰐淵晴子似な東欧系美人の奥さんも、嘗て語学教師として米子に住んでいたとかで、2人とも僅かながら日本語が話せる上に、大の日本贔屓でもある。
部屋のインテリアも何処となく和調の物で彩られ、とても清潔感溢れる綺麗な家にて、2匹のシャム猫が同居人。奥さんの手料理は、味噌汁ときんぴら牛蒡、玄米を使った炊き込み御飯、そしてDiego作と云う冷奴。冷奴以外は、どれも日本にはない少々不思議な味付けではあったにせよ、美味しく頂き我々3名大いに満足。そう云えば、ハンバーガーやフライドチキンにコーラと云う典型的貧乏アメリカ人の食生活パターンを展開するSubArachnoid Spaceの中にいて、唯独り携帯用鍋まで持参し、毎朝何やら玄米と豆と野菜を煮た不思議な料理を自炊し食していたDiego、ベジタリアンではないらしいが、食生活のこだわりは奥さん共々であったか。
ランチの後、結局ここへやって来る筈のMelyndaは未だ現在自宅にてシャワー中とかで、ならばと皆で近所のGolden Gate Parkを散歩、やたらバカ高い樹々の間に作られた散歩道を巡る。木もデカいが松ぼっくりもデカ過ぎ。暑過ぎもせず、湿度もない故風もサラサラ、何とも心地よい午後の散歩。
結局Melyndaは来ぬ様子なれば、我々一同はDiegoの奥さんにお礼を告げ、そしてDiegoの車でKimさん宅へ戻る途中、郵便局にて津山さんは、ここまで買いまくった大量のレコード2箱を日本へ向けて発射。Kimさん宅へ戻れば、丁度時同じくして外出から戻ったKimさんとSamに、楽器屋へネックを探しに行きたいと告げ、Kimさんの車にてSam共々再び外出。結局4件のギター屋を巡れど、私の探す「ローズ指板デカヘッド」のネックは見つからず、当面はFender mexicoの「ローズ指板スモールヘッド」のネックにて代用するしかあるまい。
Kimさん宅へ戻ればもう出発の時間、されどBottom of The Hillはここから徒歩でも行ける距離なれば、さして焦る必要もなし。今日の対バンは、先日のSeattleのライヴに間に合わなかったPsychic Paramountである。SubArachnoid Spaceに替わり、ツアー後半は彼等と共に回る事になっている。彼等とは旧知の仲にして、また2002年冬のヨーロッパ・ツアーに於いてもフランスを一緒に回っておれば、気心も知れており、またギタリストDrewの美人若妻Maryleneは、AMT初めてのヨーロッパ・ツアー以来の良き友人なれば、これまたツアー後半も楽しくなりそうではあるまいか。彼等が到着するや、先ずは皆で再会を祝す。Drewは相変わらず格好良い事この上なく、Maryleneは相変わらず可愛らしいままである。
ところで彼等が云うには、つい1時間程前、Height Streetにて銃の乱射事件があり、通行人約2名が死亡したそうな。丁度その場に居合わせた彼等はその瞬間を目撃したらしく、突如の銃の乱射により、人々は植え込み等に飛び込んだとかで、彼等でさえ「あんなクレージーな事件は見た事ない」と未だに動揺気味なれど、我々もその3時間前にはHeight Street近くのDiego宅におり、その後再びAmoeba Musicに立ち寄ろうかなんぞと云っておれば、よくも行かなかったものである。
機材をセットしサウンドチェック、DrewのFender Twin Reverbを使わせてもらうが、何と気持ちの良い音か。今回はアンプに泣かされていただけに、この素晴らしい音抜けとダイナミクスに、漸く自分の音を奪還した心持ち。今宵は気持ち良く演奏出来そうな予感である。
サウンドチェックを終え、Kimさんの案内で「Country Station」なる日本食レストランへ。何でもロックが爆音で流れる寿司屋だとかで、値段も手頃らしい。Mission Streetにあるその「Country Station」、店内は暗黒舞踏やら喜多郎やらZeni Gevaやらのポスターが張られ、ブルーハーツがBGMとして流れており、到底San Franciscoとは思えぬ空気、まるで高円寺かどこかのアングラバーの様相。オリオンビールを呷りつつ冷奴を摘み、オーダーした寿司を待つ。寿司は矢張り美味なれば、一貫頬張る度に大いに感無量なり。はじめちゃんのみ、何故かベジタリアンのアメリカ人の如き「ベジうどん」をオーダー、かぼちゃやらブロッコリーやらと、普段うどんとは馴染みの薄い野菜がてんこ盛りにして、更に麺はどうやら乾麺なれば、うどん好きの私でさえ「これだけは頼まへんやろ」な逸品と、滝のような汗を流しながら奮闘しておられれば「何でそんなん頼んだん?」「さあ、何ででしょう…」如何にもはじめちゃんらしい返答である。
店の裏でタバコを吸っておれば、どうやらここの主人である髭長髪の御仁が話し掛けて来るや、ついついそのまま話し込んでしまえば、彼は村八分(オリジナル・ドラマーの方は、この裏に住んでおられるとか)やアシッドセブンと友人らしく、更に話を伺っておれば、嘗て土方巽の下で麿赤児と共に舞踏を学び、舞踏家として活躍されている玉野黄市さんだと云う事が発覚。我々がアメリカをツアー中と聞き知るや、今宵のライヴに来て頂けると云う事から、では「Country Station」御一行様まとめて御招待する運びと相成る。
寿司にて大いに満腹なれば、Bottom of The Hillへ戻る。バックステージにて、丁度Drewらが夕飯を食しておれど、メニューは昨夜とほぼ同じなれば、嗚呼、身銭を切ってでも寿司屋へ行きし事に微塵の後悔もなし。
今宵は更にローカルバンド「Parchman Farm」の演奏があるとかで、午後9時半にそのParchman Farmの演奏が始まる。結構可愛い女性ギタリストを擁するハードロック系グループ。この時点で来場している100人ぐらいの客をしっかり捕らえている辺り、将来人気が出る可能性は充分なるか、それともSam宜しく「ギターの女の子が可愛い!」と云う顛末なるか。
Psychic Paramountの演奏が始まる午後10時半には、ホールどころか中庭までぎゅうぎゅうに埋まる程の満員状態。Psychic Paramountの最初の一音目、これがまた超ド級に格好良い爆音なれば、我々一同思わず身を乗り出した程。以前よりもパワーアップした彼等のサウンドは、まさしく現在進行形のアメリカン・サイケデリックなのかもしれぬし、どれ程日本人の我々が気焔を上げた処で、もし彼等のようなリアル・アメリカン・ロック馬鹿が本気になれば、きっと足元にも及ばぬかもしれぬが、残念ながら中盤から中弛みの感は否めず。新ドラマーが加入して間もないとかで、今後に期待したい処。津山さん曰く「やっぱしDrewカッコええわ。若い時のリチャード・トンプソンにめっちゃ似てるしなあ。めっちゃロックや!」
午後11時半、結局昨日以上の超満員状態の中、我々の演奏開始。1曲目GFR「Are You Ready」のカヴァーからラスト「La Nòvia ~ Speed Guru」まで、今宵はハード&ヘヴィー・チューンで突っ走る。アンコールは「Pink Lady Lemonade」の後半部のみを演奏、これにて2夜に渡るBottom of The Hillでのライヴは終了。
終演後、本当に来て頂いた「Country Station」御一行様から、日本酒1升と寿司折り2つを差し入れて頂き、今宵はこれで再び寿司が食える上、日本酒も飲めるとは、何と云う幸せか。玉野黄市さんにも「71年に東京でPink Floydを観た時と同じ感動を覚えた」と、大いに喜んで頂けた様子。
締めて有料入場者600人と、大いに盛り上がりしSan Franciscoの2夜、ツアーの丁度折り返し地点にして、我々としてもいろいろゆっくり演奏出来、充実した時間と相成った。
Kimさん宅へ戻るや、先ずは全員で寿司を貪り食う。流石に疲れたか、日本酒1杯程度でメンバーは皆就寝、結局KimさんとJonとSamと私の4名は、Kimさん所蔵の日本酒との飲み比べなんぞやったりしつつ、大いに夜更かしにて歓談、午前5時ソファにて就寝。
6月6日(日)
朝9時起床、朝飯は即席ラーメンにキムチをぶち込み済ませる。これまでに購入したレコードを整理しようと思っておれど、結局面倒臭くやらず終い。SubArachnoid Spaceのリハーサルスペースに置きっ放しにされているハーディーガーディーを引き取りに行く段取りをつけ、午前11時出発。ドラマーのChrisと彼の家の近所にて待ち合わせ。彼が来るのを待つ間に中華料理店を見つけるや、皆で恒例のエビ炒飯を購入するが、このエビ炒飯があまりにとんでもない量なれば、これで6ドルとは驚愕。通常のエビ炒飯でさえ2食分は充分あるだろうに、何とこのエビ炒飯は優に3食分はある。やって来たChrisと共に、彼等のリハーサルスペースへ向かい、無事ハーディーガーディーをバンに積み込むや、ここより一路LAを目指す。
車内にてエビ炒飯を貪れど、一向に減ったようには見えて来ぬ。果たしてこれを完食出来るのであろうか。仕上げにV8を流し込み、腹が膨れれば矢張り後は寝るのみ。
約6時間のドライブにて、今宵の会場Spacelandに到着。Psychic Paramount一行もほぼ同時に到着すれば、早々に機材をセットしサウンドチェックを済ませる。このクラブに関しては、今まで様々な人から良いクラブだと聞かされてはいたが、訪れたのは今宵が初めて。ここは店内が2分割されており、ステージがあるホール側は禁煙、もうひとつのスペースにも別のバーがありこちらは喫煙と、嫌煙天国のここカリフォルニア州に於いて何と粋な計らいか。 然して大きいクラブではないが、今宵は日曜日なれば果たして客は来るのであろうか。況してやここLAにて、明日はKnitting Factory Hollywoodにてのライヴと、多少距離は離れてはおれど2daysなれば、杞憂しがちにもなろうと云うもの。
San Diegoを拠点に活動するアシッド・フォーク・トリオMaquiladoraのBruceと再会。本業が役者である彼は、ここLAに素敵な屋敷を構えているのである。来たる8月には再来日するMaquiladoraなれば、彼とツアーの詳細等を打ち合わせつつビールを呷る。Eclipse RecordsのEdが奥さん同伴でやって来るや、前回Ed宅にお邪魔した際には大層な無愛想ぶりであった奥さんも、今宵はいつになくにこやかなれば、ビール片手に歓談。Edとは今後のリリース等についての打ち合わせも済ませる。Bruceの彼女Naomiさんも友人同伴で現れる。
午後9時半、Psychic Paramountの演奏が始まるが、客の入りは未だ半分弱と云った処。されど我々が演奏を始める午後11時前には、ホールはほぼ埋まっており、何はともあれ一安心。ステージ上の音が大層悪く、また照明も安っぽい演出効果に終始する故、何ともやりにくい事この上なく、結局1時間半程度のセットにて終演。されど大層な盛り上がりなれば、恙無く終わったと云えようか。
終演後、ここまでで購入したレコード3箱を、日本へ送ってもらうようEdに預ける。Edは明日も明後日もライヴに顔を出したいと云っておれど、なにせ無類の恐妻家なれば、ツアー同行なんぞ論外と云わんばかりに帰宅を急かす奥さんに突かれ、今から4時間半のドライヴにてアリゾナの砂漠にある自宅へと向かう。
明日はグランドキャニオンを観光すると云うPsychic Paramount一行とテキサスでの再会を約束し、我々はBruce宅へと向かう。
Bruce宅は、広大な庭を持つスペイン風の一軒家にして、彼が数年前に購入して以来、暇を見ては少しずつ自分で改装している様子なれば、今回も地下に新たな部屋兼工房が完成していた。更にはバスルームもタイルを張り替えバスダブ等も一新する予定とか。広大な庭については「永遠に完成しないだろう」と笑うが、自分の手でいろいろ改装するなんぞ、何と素敵な話か、借家住まいの私からすれば羨ましい限り。
Bruceの彼女Naomiさんが我々を迎えてくれる。
彼女は日系アメリカ人なれば日本語は話せぬが、Bruce共々我々の為に日本食材を矢鱈と用意してくれており、今宵はBruceお手製のカレーライスを振舞ってくれるとか。今朝購入し食べ残したエビ炒飯もこれにて御役御免と捨てようと思えば、何故かNaomiさんが気を利かせて冷蔵庫に入れてくれていた。さて皆でカレーライスを美味しく頂けばおかわりを連発、大いに満腹なり。更に、昨年Maquiladoraで来日した際に覚えてくれたのであろう、私と東君のお気に入りである焼酎のお茶割りを振舞わんと、焼酎2本と十六茶のボトル数本を用意してくれていたのには感無量。室内禁煙なれば、例によって玄関ポーチや庭に置かれたガーデンセットにて、Bruceの愛犬アイリーンも交え、焼酎のお茶割りを片手に皆で団欒。ここまでツアーに同行してくれたSamは仕事の都合上、明朝7時の飛行機でDCへ戻る事となり、朝5時前にJonに空港まで送ってもらうとかで、今から眠ると絶対乗り遅れるからと、結局私とBruceが朝まで付き合う事となり、午前5時に無事Samを見送り、地下の一室に設けられたベッドにて漸く就寝。
(2004/6/19)