『人声天語』 第125回「カレーとラーメン」

普段の私の食事とは、如何に時間と手間を掛けずに手早く簡素に済ませるか、そして海外ツアーが近付くにつれ、あの凄惨な激不味料理が脳裏どころか口の中にさえフラッシュバックすればこそ、今のうちに美味しいものを心行くまで堪能しておかんとの思いもあり、大好物の鯖(きずし若しくは塩鯖)をはじめ、焼魚や煮魚、納豆、野菜等の炊いたん、山椒昆布等の佃煮、漬け物各種、味噌汁、うどん、焼きそば、鍋各種等、斯様なメニューを自炊にて飽きもせず繰り返し食い続ける有様なり。
されどカレー中毒でもある私なれば、体が週に2~3度は無性にカレーを欲するや、カレーを作る手間と時間さえ惜しんでは、レトルトカレーに昆布出汁を加え、ネギや天かすをトッピングに、即席カレーうどんと決め込むのである。
私は「作ったその日から2日目夜の味がするカレー」と云う秘奥義を持っているのだが、これは下拵えにかなりの手間を要する故、自分で「今週は『カレー強化週間』や!」とでも思わぬ限り、いざ拵えんと重い腰が持ち上がらぬのである。一旦鍋一杯分拵えてしまえば、勿論毎日朝から晩までひたすらカレーを食い続けるのであるが、そこに時折挟み込むカレーうどんがまた絶品なり。

カレーライス、カレーパン、カレーうどん、カレースパと来れば、当然カレーラーメンも然るべきで、況してやラーメンはカレーと並ぶ国民食である。久しくお目に掛からぬ故、今や生産中止になったのであろう袋入り即席麺エースコックのカレーラーメン、確かCMは「カレーかラーメンか、それが問題だ」なんぞと云うコピーであったと記憶する。子供の頃に馴染み深き我家の即席ラーメンとは、日清チキンラーメンと出前一丁、サッポロ一番3種(みそ、しょうゆ、塩)、ハウスのシャンメンたまごめん、明星チャルメラ、エースコックワンタンめんと駅前ラーメン、そしてこの日清カレーラーメンであったか。当初は従来の袋入り麺同様、粉末スープであったが、途中から即席ラーメンでは初であろう固形スープ+袋入りスパイスに変更、この固形スープが溶けにくく玉が出来たものなれど、その美味さから考えればそれも御愛嬌なり。残ったスープに御飯をぶち込み即席カレー雑炊にして食せば、食べ盛りのガキの胃袋も充分に満たされしもの。
即席ラーメンの元祖たるチキンラーメンさえも、矢張り時代の節々に於いてカレー味を幾度となく発売しておれば、実はカレーラーメンなる逸品、そもそも着想自体も老若男女問わずに愛され続けるカレーとラーメンの合体技と云う、言わばカレーうどんと同じベクトルの安直な発想にして、今程奇妙奇天烈多種多彩なラーメンが誕生する遥か昔に既に考案されしも当然か。ならばカレーうどんは定番メニューとなる一方で、何故カレーラーメンのみが憂き目に遭わされしか。

うどんは、そもそも関東人から「そばは蕎麦粉だが、うどんは所詮メリケン粉」と侮蔑されるが如く、まさしくメリケン粉であるが故、即ち主食たる側面をも兼ね備えておればこそ、そばなんぞよりも遥かに柔軟に幅広く料理としてのバリエーションを生み出せる余地を持ち得る。所謂カレーそばなる代物もあるにはあるが、折角のそばの風味がカレーの強烈な味の前には全く生かされぬどころか、あのそば特有のコシの強さが、ドロッとせしカレールーと互いにその長所を引き出し合い、素晴らしいハーモニーを奏でるとは到底云い難く、明らかにコラボレーションとしては失敗例に数えられる。
そしてカレーラーメンである。前述の通りラーメンは今や国民食にして、日本全国津々浦々、果たしてラーメン若しくは中華そばをメニューに載せる店は何軒に上るのか。またその種類の豊富さたるや、各地方によって全く異なるラーメン文化を生み出すに留まらず、各店が独自のラーメンを編み出す事に躍起になっておれば、既に全てを掌握する事なんぞ、ほぼ不可能と云えるのではあるまいか。ラーメン文化はメディアも巻き込み常々ブームさえ生み出す程なれば、その生き残りを賭けての競争は熾烈を極める。されど斯様な中、以外にも支持を得られぬのがカレーラーメンではなかったか。一時注目されこそすれ、他の定番ラーメンの如く圧倒的にして安定した支持を受けているとは到底思えぬ。各種ラーメンの専門店はいろいろあれど、カレーラーメン専門店なんぞ、勿論あるにはあるのだろうが、未だお目に掛かった事なし。2大国民食たるカレーとラーメンが融合して、何故圧倒的な支持が得られぬか。カレーもラーメンもその応用性の幅広さは、他の料理の追随を全く許さぬ程にして、大抵の食材と組み合わせた処で問題なければ、カレーラーメンたる組み合わせが不味い訳はなかろう。

カレーラーメンの最も成功例としては、日清カレーヌードルが挙げられるか。されどこのカップヌードルなる代物、果たして本当にラーメンなのかと云われれば、かなり怪しい代物ではなかったか。そもそもベーシックたるカップヌードルとは、今や何の疑問もなく湯を注ぎ食しておれど、具は人参や玉葱、更にはグリーンピースや小エビにして、スープはコンソメ系なれば、斯様に珍妙なラーメンなんぞ他にお目に掛かりし事なし。確かに日清の即席麺第1号たるチキンラーメンさえも、よくよく考えてみれば斯様な味のラーメンなんぞ、矢張り他にお目に掛かりし事なければ、この独自性こそ日清流人気定番商品開発の秘策であったかもしれぬ。即ちカレーヌードルに於いても、食する側が必要以上に既成のラーメンを意識する事なく、先入観なく素直に味のみに対峙し得たからこそ、カレーヌードルと云う言わばカレーとラーメンの融合にも、然して奇妙さを感じなかったのではなかったか。

ところでカレーライスとライスカレー、2種の呼称あれど果たして如何に異なるや。諸説によれば、ライスカレーの名付親は、日本に最初にカレーを紹介せし人物と云われる「Boys be ambitious」で有名なクラーク博士らしく、一方カレーライスと云う呼称は、高度経済成長期に、ルーとライスを別盛りにするスタイルが登場せし頃から一般的になりしとか。成る程、ではうどんカレーやらスパカレーがないのは何故か。私の個人的見解からすれば、その答はいとも簡単明瞭、うどんカレーやらスパカレーと聞けば、ビーフカレーやら野菜カレー同様に、まるで具がうどん若しくはスパゲッティの如きに思え、何とも気持ちの悪い事この上なし。勿論「そんなアホな事あるかい!」とツッコミを入れられそうではあるが、しかし法則性から考慮すれば当然至極の答なり。名古屋に引っ越せし当初、大阪から友人が遊びに来た際、某大衆食堂にて「味噌カツって何や?」と訊ねられ「ほな、トンカツって何や?」「ん?豚のカツや」「ほな、チキンカツって何や?」「鶏肉のカツやんけ」「ほな、味噌カツは?」「ええっ!味噌のカツか!」とからかいし経験あれど、味噌カツ同様にライスカレーに限っては、その法則性に一致せぬに過ぎぬ。ならばラーメンカレーは如何に。矢張りうどんカレー同様、具がラーメンの如きに思えてしまえば、決してその名称から食欲を促される事あらぬか。

では一体如何にすれば、カレーラーメンが、他の名物ラーメンの如く定番ラーメンとして人気を博し得るようになるのか。
各種ラーメンが定番化せし経緯には、大抵**名物と云う地方色が背景にある事多し。ならば近頃人気を博していると云う札幌のスープカレー辺りとのコラボレーションにて、札幌名物スープカレーラーメンにでもすれば如何なものか。勿論札幌には既に確固たるラーメン文化が形成されておれど、ここで更に新たな札幌名物ラーメンとして売り出せば、ただ単に漠然とカレーラーメンとして売り出すよりも、確実な成果を上げられるのではなかろうか。されど斯く云う私は、これまでの人生40年間に於いて、北海道の土を踏んだ事もなければ、そのスープカレーなる代物を食すどころか見た事もなく、果たして本当にラーメンとマッチングするか否は知る由もなし。されどスープカレーと呼ばれるぐらいであるから、きっとスープの如くサラッとしたカレーであろうと推察されれば、カレーうどんの汁の如くドロッとはしておらぬだろう故、よりラーメンのスープに近い食感と云う意味でも、かなり良い塩梅ではなかろうかと思われる。
若しくは、レストラン等にてカレーライスがルーとライスが別盛りで出されるが如く、つけ麺スタイルにしてみてはどうか。カレーライスは別盛りにされておろうが、結果的にはルーをライスの上に掛けて食するのに対し、こちらは麺をルーに付けて食すると云う点が異なれど、ルーは麺に絡み易いように、矢張りカレー本来のドロッとした仕上がりが好ましいと思われる。丼に盛られしドロッとしたルーの中に、麺やチャーシューの姿が垣間見られる所謂ラーメン擬きたる様よりは、別盛りにする事で、全く新しいカレーラーメンの姿としてプレゼンテーションし得れば、日清の成功パターン宜しく意外にも定番化するやもしれぬ。
更に一時一世を風靡せし油麺のカレー版として、カレー油麺若しくはドライカレーラーメンと云う代物も一応考える事は出来るが、個人的に油麺が好きではない為、あまり美味そうには思えぬか。いっその事ドライカレー宜しくウスターソースをドバッと掛けて頂けば良いのではと思えども、それならばカレー焼きそばにした方が遥かに美味そうである。

もしもカレーラーメンなる代物が定番化した暁には、当然の如くカツカレーラーメンを筆頭に、カレーライスに於けるバリエーションは殆ど応用されるであろうし、また豚骨しょう油ラーメンの如く豚骨カレーラーメン等と云う合体技も繰り出されるやもしれぬ。さすれば世にも珍妙なるカレーラーメンも百花繚乱する事間違いなけれども、今単純に想像するのみでは、矢張りあまり食指を伸ばそうとは思えぬか。されど日本の食文化とは、常に飽くなき異種交配と日本人ならではのアレンジ力を以て昇華し続けて来たのであるから、必ずしも絶望的予見をすべきではないか。カレーとラーメンの融合に於ける革命児となる人物は、この今も何処かで日々研究に余念がないかもしれぬ。

斯く云う私は、実はあまりラーメンが好きな訳でもなく、別にカレーラーメンが人気を博そうが博せまいが、本当はどうでもいいのである。ただ今一度、あの日清カレーラーメンを食してみたいと思うのみで、もしもカレーラーメンなるが人気を博せば、日清が復刻してくれるやもしれぬと思いし限り。子供の頃に食べたあの味をもう一度、斯く思うようになれば、自分も老いたかと思わずにはおられぬか。昔を懐かしがるには若過ぎる、しかし気が付いてみれば「最近の若い奴等は~」なんぞと口にしており、このまま頑固親爺へ一直線か。と云う訳で、今年も大いに文句を垂れ捲らん。

(2006/1/3)

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