過ぐる春、当AMT公式ウェブサイトは、新電脳奉行依田氏の絶大なる尽力を以て、十数年ぶりの全面リニューアルを敢行すれど、当「人声天語」コーナーに限り、コンテンツの移動に時間を要されれば、先日漸くしめやかに無事公開の運びと相成りし。然れば「人声天語」再アップロードを記念すべきか、否、記念せずともコーナーが維持される限り、矢張り怠けず更新すべしと、況してブログなんぞ始めし以来の休載ぶり、4年余と長きに渡り放置せし己れの怠慢ぶりへの自戒も込め、徒然なるままに執筆再開せんと、此処にしめやかに宣う次第なり。
そもそもウェブサイト開設以来、初代電脳奉行(現電脳目付)はじめちゃんと共に、何せ私のド素人意見を聞き入れて下さればこそ、試行錯誤紆余曲折逸脱暴走すれど、何とかリピーターを確保せんとの目論みにて開設されしひとつが、この「人声天語」コーナーなり。当時は未だ、掲示板ブーム、個人ホームページ隆盛の最中にて、筆達者な御仁は皆様、己れのホームページを立ち上げ、各々随筆やら日記の類いやら精通される蘊蓄やらを、日々綴られし様にして、然れば読み物として可成り秀逸なるも少なからず、またマニアが綴りし蘊蓄あれこれには、知られざる当事者ネタやら、知る人ぞ知るレア情報にまで至り、時にはWikipedia如きなんぞ到底及ばぬコアぶりを披露、私如き浅学の徒なんぞ、常々大いに感嘆驚嘆させられし有様にして、いやはや未だISDNどころかダイアルアップにて接続すれば、ついついネットサーフィンに明け暮れ、翌月の電話料金の請求金額に驚かされしも珍しからじ。而してブログやMixi等のサービスが登場すれば、結局人とはわざわざ険しき坂を上らんとするより、楽せんと下り坂を下らんとするは当然、斯くして難解至極たりし更新作業に手間隙要しつつ、個人ホームページ開設維持せんとするより、更新容易なる御手軽ブログやらMixiへ流れ行きしも、是当然至極たらん。更にはMyspace、Twitter、facebook、云々と、SNSが進化すればする程、その綴られる内容とは、衝動的刹那的にして軽薄希薄アホ丸出し、然れどその情報拡散の速度に釣られ、遂にはネット中毒さえ引き起こす顛末、まさしく世も末、人類滅亡も然して遠からじとは、推して知るべし。斯く云う私も、仕事に関しインターネットは必需品、況して日々ブログの更新に苛まされ、facebookの甘き呪縛に苦悶させられつつも、そもそもAcid Mothers Templeとは、海外に於いては出現当初、インターネット社会の寵児たりし側面すらあれば、今以てインターネットを用いての戦略構想抱くも当然、果たしてその私が今更何を云うか。
然れど幸か不幸か、未だ携帯電話の類いもタブレットも所持せぬ私なれば、MacBook Proを携行するのみ、さりとて「インターネット接続は飽くまでも有料たるべし」たる日本国内に於いて、今や然う然う野良電波にて無料接続果たせる筈もなく、御蔭様にて、移動の列車内なんぞにては、未だにのんびり文庫本を開くが常なり。
斯くもアナクロ人間たる私なれば、そもそも新しき変化を好まぬ性分にして、使い慣れしを重宝すればこそ、如何に便利と勧められど、然う然う新製品に手を出さぬ有様にして、仮令漸く購入すれど、それを開封するまで数日、下手すりゃ数年も要する有様、兎にも角にも「新たなる変化」を望まぬ偏屈者さてまた超保守派か、然ればこそコンピューター購入に際しても、周囲より散々勧められれども「コンピューターってHALのトラウマで信用出来ひん」と断固拒否、当時海外より届く膨大な数のメールを、初代電脳奉行はじめちゃんに、全てファックスにて転送して頂き、その返事をまたファックスにて送り返すや、はじめちゃんがタイピングし返信と、今から思えば、メールの利便性を極限まで拒否せしが如き驚愕の方法にて対応せしものにして、現場を任されしはじめちゃんには、正に迷惑千万どころか億兆な話たりしか、甚だ申し訳なき限りなれど、そのはじめちゃんが、2000年夏にツアーメンバーより脱退されしを機に、背に腹は代えられぬと止む得ずiMacを購入せし経緯なり。然れば既にコンピューターに携わり13年目を迎えれど、未だ録音作業はA-datにて行えば、嘗ては生業とせしデザインさえ、未だに手描きの方が、余程要領得る有様にして、動画編集なんぞ云わずもがな、結局コンピューターが秘めるスペックの僅か3%程度しか使用し得ぬ体たらくぶり、これも全てはアナクロの極みなればこそ。結局旧態依然とせし技術なれども、それにて充分対応し得れば、事実上全く問題無し。
そもそも嘗て宅録を始めし中学生時分、当然未だマルチレコーダー即ちMTRの類いなんぞ持ち合わせねば、2台のカセットデッキ、1台のモノラルラジカセを駆使しつつ「あるもんで何とやる」知恵を付ければ、それ以降機材は徐々に充実すれども、機材的に不自由なれば不自由なる程、あれこれ工夫せんと頭を捻れば、新たな方法やら革新的な方法が、すべからくも思い付くは当然ならん。
然れば今回の「人声天語」再開も、今や完全に廃れ果てし、個人ホームページ内の随筆とは、これまた正にアナクロの極みかな。況してTwitterの140字制限が象徴するが如く、随筆の如き退屈極まりなき長文なんぞ、果たして誰が最後まで読まんとされるや、否、私が綴るブログなんぞも、大概冗長極まりなき長文にして駄文、疾うに愛想も尽き果てされれば全て杞憂か。ほなら何でも宜しいがな、いやいや、そもそも徒然なるままに、日くらし、パソコンにむかえば、心に映りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくらえば、あやしうこそものぐるほしけれ、なんぞと兼行法師さえ気取れば、御気楽極楽不仕鱈に綴る事こそ身上とせん。斯くして次回へつづく、多分、何がやねん、嘘、ホンマ、ホンマの反対、嘘の反対、そのまた反対、反対の反対、反対の賛成、賛成の賛成、賛成の反対、反対の反対の反対、まあもうどうでもええわ、終わりたいけど終わられへん、おんどれはフランス人か、C’est la vie、Je t’aime、embrassez-moi partout、やめさせてもらうわ、どうもありがとうございました~*
(2013/7/4)