『人声天語』 特別編「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003 雑記」

今回のツアーは「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003」と題された「つるばみ」「Pardons」「河端一 solo」の3部構成となった企画モノで、1ヶ月間でアメリカ(San Francisco / Chicago)~イギリス~アイルランド~フランス(Parisのみ)~アメリカ(New York / Philadelphia / Seattle)を巡ると云うもの。いつものAMTのツアーとは異なり、久々に「地道な」ツアーであった為、いろいろと思う事多数。
拠って今回は「ツアー四方山話」的な内容で綴ってみる事にする。


第89回「食こそ旅の愉しみ、さてまた苦しみか」

ツアーで泣かされる事と云えば、先ずは何と云っても「食事」である。

今回も日本から色々食料を持参しては行ったものの、1ヶ月と云う長丁場にはとても充分な量ではない。兎に角「世界残酷激不味料理地帯」イギリスさえ自炊で切り抜ければ、まだ食えるものが存在するアメリカは何とか外食でも凌げるとの算段であった。

最初の到着地San Franciscoではシスコ名物メキシカンフーズで切り抜け、次のChicagoではスーパーで牛フィレの塊を購入し、自分で豪華フィレステーキを焼いてみたりなんぞし、かなりの満足度であった。されどイギリスに乗り込むや、手持ちの食料はあっと云う間に消費され、更に車移動であった為、どうしても昼食は外食に頼らざるをえぬ。ドライヴインのバーガーキングを訪れた処で、ハンバーガーセットが5ポンドはする。アメリカならば5ドル、ヨーロッパならば5ユーロ、日本ならば500円と云った塩梅であろうが、額面の字面は何となくアメリカと同じような感じこそすれ、実はほぼ倍額近い。5ポンド=1000円と換算すれば、この恐ろしく馬鹿高いハンバーガーセット、そう易々とは頼めぬのが実情。

Birminghamのクラブのレストランにてステーキをオーダーした折、このステーキ、何と全く味付けが施されてはおらぬではないか。当然であろうバター添えやガーリック風味を施すどころか、塩コショーさえも施されておらず、ただ「焼いただけ」、これを果たして料理と呼ぶのか。付け合わせは「揚げただけ」のチップス(フライドポテト)と「茹でただけ」のグリーンピースと「切っただけ」のトマトスライスである。これは料理人の腕を問う云々以前の問題で、斯様な料理で「金を取る」なんぞ不届き千万。テーブル上にはビネガーとケチャップのみが置かれている。これで己で味付けせよと云う事なのであろうが、ビネガーとケチャップでは不十分極まりなし。運良く隣のテーブルを見れば、先程までそこに座って同じくステーキとオニオンリングを頬張っていた男性が自分で持参したのであろう、テイクアウト用に袋詰めされた「ブラウンソース」(ウスターソースの類い)が2袋残されており、それを頂戴して何とか「ステーキらしい味」で頂く事が出来た。何故お客がここまで苦労せねばならぬのか。料理人なら胸を張って自分の料理を出せ!お客に味付けさせるなんぞ、それならば厨房にて自分で料理した方が百倍マシであろう。何しろ間違いなくその方が「旨い」ものが食えるであろうから。

東君と恵美嬢は、持参した食料が少なかった為、イギリスで激不味即席拉麺を買う羽目となった。東君の常食であった「トマト拉麺」も見るからに不味そうであったが、恵美嬢は「Pot」と呼ばれるイギリス特産(?)のカップ麺を常食しておられた。(http://www.potnoodle.co.uk/


この「Pot」なるカップ麺、イギリスへツアーした際、誰しもが一度は通る道なのであるが、製麺技術の酷さたるや筆舌に尽くし難く、更にそのスープたるやこの世のものとは思えぬ味覚なのである。おまけに別袋でスペシャルソースが添付されており、これを加える事により、その不味さたるや日本人の味覚では慮る事なんぞ絶対不可能な領域にまで突入してしまう代物ある。湯を注ぐ為にカップの蓋を開けるや、そこに見えるのはカップ拉麺と云うよりは得体の知れぬ謎の物体Xであり、我々はその姿から「カビヌードル」と呼称している。

この「Pot」に対し、「結構大丈夫ですよ」と海外旅行初体験ならではの好奇心旺盛さ故か、その不味さを楽しめているとしか思えぬ恵美嬢ではあったが、「ビーフ味」「マッシュルーム味」を網羅した後に辿り着いた「スイート&サワー味」については流石に「不味い」を連発。当たり前やろ!そもそも拉麺で「スイート&サワー味」って何やねん!臭いもの嗅ぎたさならぬ「不味いもの食いたさ」で一口貰うや、それは拉麺にケチャップと酢と砂糖をぶち込んだ様な、如何せん斯様な味の代物、我が人生38年間で未だ遭遇した事もない、世にもおぞましい味であった。甘いのか辛いのか酸っぱいのか苦いのか、それさえも判然とせぬと云うよりは、それらが同時に怒濤のように押し寄せては口中に広がり、その後に薬臭く粉っぽい後味が残ると云う類い稀な珍品。そもそも斯様な代物が平然と生産ラインに乗り、そして需要があると云う事自体、私の価値観では到底推し量れぬ。これを「旨い」とは思わぬにせよ「不味い」と感じぬイギリス人の味覚とは、一体どのようなものなのであろう。

New Yorkのデリカテッセンを除けば、世界中如何なる都市であろうとも、深夜にそこかしこでコンビニが誘蛾灯の如く明かりを灯している場所なんぞ、日本以外にそうそう無いと思われる。アメリカにはセブンイレブンが存在するが、日本の如き200m毎に縄張り争いをするが如く犇めいている訳ではない。況してイギリスやヨーロッパでは、唯一ガソリンスタンドのみにて、深夜でもコーヒーやらサンドウィッチ、缶詰めやら即席拉麺程度のものは何とか購入出来るが、とても私の食えそうなもの等ありはしない。何しろディナーはサウンドチェック後の7時か8時であり、終演するのは深夜過ぎであるから、ライヴを終えて宿泊先に辿り着いてみれば、空腹に苛まされる事は必至で、それ故にここでこそ持参した食料の有り難みを思い知らされるのである。ライヴ疲れと飲み疲れの後にすするうどんは絶品極まりなし。されど宿泊がホテルであれば、キッチンがある訳でもなく、苦肉の策として洗面所の湯またはコーヒーメーカーで湯を湧かし、何とかチキン拉麺若しくはカップ拉麺をすする程度が関の山。故にカップ拉麺はとても貴重な逸品であり、如何にかさ張ろうが絶対ツアーに持参せねばならぬ必需品なのである。

されど今回イギリスにて、某ヒッピーコミューンに泊めて戴いた折、我々の外出中に、そこの飼い犬が私の貴重なカップ焼そばUFOを食い散らかすと云う暴挙に出た為、私の「切り札」であった非常食は、哀しいかな、無惨にも床に撒き散らされてしまったのである。未だ半月を残すツアー日程に於いて、如何な空腹の際であろうとも、決してもうあのウスターソース味の焼そばを食す事はあり得ぬと思えば、その時の私の絶望感は、到底この犬畜生をこの場で「犬鍋」にしても飽き足らぬと云う憤怒の想いをも軽く超越し、危うく生きる希望さえ失いかねる程であった。

さて今回巡り会った不味いものと云えば、NYのデリカで購入した「シーフードサラダ」とSeattleのスーパーで衝動買いした「巻き寿司」か。近頃では、大凡にして不味かろうものは大抵察しがつく故、「ハズレ」を引く事は少なかれど、それでも矢張り「ハズレ」をひとつふたつは引いてしまう。

「シーフードサラダ」は、そもそもサンドウィッチの中身として売られているものではあったが、何しろ「パン嫌い」な私なれば、中身のみを所望するのはいつもの事。しかしこのサラダ、マヨネーズ(向こうのマヨネーズは、味が淡白にも拘わらず妙に脂っぽい)の塊に具が隠れているような状態で、且つ味付けがかなり甘いときている。サラダに缶みかんやりんご等のフルーツが入ってるだけでも許せぬ私なれば、甘いサラダなんぞ気色悪い事この上なし。仕方ないのでホットソースを購入し瓶半分程打っ掛けたのだが、このホットソースも何となく甘いではないか。1ドルをケチってこの安価なホットソースを購入した事が失敗であったか。ケチらず普通にタバスコを買えば良かったと後悔するも既に遅し。車中でこのサラダをかき込みつつFM局WFMUへ向かったのだが、到着した頃には猛烈な胸焼けと胃もたれにのたうち回り、更にここ3週間ビールを浴びる程飲み倒し胃がビール焼けしていた事から、気分の悪さは極限状態に達し、オレンジジュースを飲みつつ演奏する顛末と相成った次第。もうアメリカでは決してシーフードサラダは食わない事を心に固く誓う。

「巻き寿司」を衝動買いした経緯は、ライヴ後にあまりの空腹で、深夜営業の大型スーパーに立ち寄った折、ついつい見境なく望郷の念で手を出したに過ぎぬ。毎度津山さんがこれでドツボにハマっている姿を見ている故、そしてかつて若かりし頃にNYに滞在していた折は、韓国人の経営するデリカにて巻き寿司を買っては、その不味さに泣かされたものであった故、 不味いであろう事は容易に想像し得たし覚悟も出来てはいたのであるが、矢張りその激不味ぶりには思わず食欲さえ失われる。何しろ米が不味い。これは何にせよ致命的であり、判ってはおれど、斯様なものに散財している自分が情けない。(それも翌日には漸く帰国便に搭乗すると云う状況で!)せめてアメリカのセブンイレブンでおにぎりや弁当が売っておれば、普段は滅多に手を出さぬコンビニ弁当であれ、きっと至福の喜びに感ずるに違いあるまい。

アメリカには「吉野屋」が存在する。私が知る限り、NYとカリフォルニア(SFとLA)程度ではあるが、味は日本で食す牛丼と何ら相違なく、米もカリフォルニア米であろうが炊き具合も全く問題なし。サイズはレギュラーとラージの2種であるが、レギュラーで特盛り級、ラージは更にそれの2倍程の所謂スーパー特盛り級である。私はアメリカにて吉野屋を見つける度に必ずラージを購入し、当然据え置かれている紅ショウガと七味を牛丼が見えなくなるまで打っ掛けて頂く。とても一度では食い切れぬので、残り半分をテイクアウトすれば、丁度2食分となって割安でもある。冷えた牛丼なんぞ日本では絶対食いたくもあらねど、アメリカに於いてはこれでもハンバーガーやらの類いよりは余程マシである。今回は更に白飯をひとつ購入し、そこに湯で温めたレトルトのミートボールを乗せてミートボール丼を作り、お昼のお弁当にする工夫さえする。車移動では先ず昼飯はドライヴインのハンバーガーになる事は必至で、「ノーモア・ハンバーガー」を訴える私としては、自分で何かと工夫せぬ事には、間違いなくまたハンバーガーを食わねばならぬ顛末を迎えてしまう。せめて吉野屋がマクドナルドやバーガーキング並みにフランチャイズ展開をしてくれれば、私の苦しみもかなり解消されようと云うもの。毎日ハンバーガーよりは毎日牛丼の方が、100億倍マシである。

ツアーに於いては、体力維持と健康管理が基本である。故になるべく食べ慣れたものを食べたいものであるが、それが最も困難を極める。いくら日本から食料を持参しているとは云え、塩サバや納豆は持っては来れぬし、きんぴら牛蒡やひじきが食べたいと思った処で、斯様な食材はそう簡単には手に入らぬ。普段から純和食派の私なれば、ツアー中の食生活の変化が体に与える影響は大きく、決して体調が良いとは云い難い。更に度重なるツアーのせいで、今やパンもチーズもハムもパスタも駄目になった私は、下手すると殆ど食えるものがなく、斯様な折は哀しいかな、ひもじさを都こんぶをしゃぶって紛らわせるしかないのである。

初めて海外へ出た折は、全てが物珍しく、不味い食事さえも楽しかったものであるが、今や斯様な気持ちは微塵もなく、求めてやまぬは、せめて回転寿司チェーンと定食屋チェーンが、全世界進出を果たし、いつの日かマクドナルドやケンタッキーFCを凌駕してくれる事か。その点アメリカ人は羨ましい限りである。世界中どこへ行こうがマクドナルドもケンタッキーFCも存在するのであるから。これが仮に「強いアメリカ」から派生した事実とするならば、是非日本も世界中を空爆しまくってでも「強い日本」となり、世界中のそこかしこに回転寿司やら定食屋やら吉野屋やらを乱立させて戴きたい。斯様な極論を思わず語らせる程、食事は私にとって切実な問題なのである。されどその弊害でJ-Popが世界中に叛乱し、最近のカス邦画がハリウッド映画の如く蔓延する事を思えば、思わず語気も弱まると云うものか。

不味い不味いと愚痴ばかりも云っておれぬので、今回巡り会った「美味いもの」を紹介。

以前Parisのバーにて明け方まで飲み明かした折、既に午前5時を廻ろうかと云う頃に、周囲の席に座る数人が、まるでユッケ若しくは生ハンバーグの如きものを美味そうに頬張っている様を目撃。同席していたフランス人の友人に「あれは何だ?」と尋ねた処、「あれこそParisだ!」と、如何にもフランス人らしく高慢な態度で返答された。以来、あの逸品を食してみたいと思い続けてかれこれ2年、今回漸くこの「Steak Tartar(ステーキタルタル)」を口にする機会到来。

日本でも「タルタルステーキ」の名前で有名なこの逸品、発祥はフランスではなく実はドイツのようで、一説ではハンバーグのルーツとも云われる。別説ではロシアに住むタタール人による料理「タタールスキービフテク」が元祖とも。皿の上にドーンと盛られた生肉、肉はハンバーグの様に円盤型に盛り付けられ、その中心には卵黄が落とされている。トッピングに玉葱の乱切りやらケイパーやらが添えられ(店によって既に混ぜられているスタイルと、このように別々になっているスタイルがある模様)端にレタスが飾られている。付け合わせはフリッター(フライドポテト)お好みでグリーンサラダにする事も可。既に生肉には味が付けられているが、お好みでケチャップやマスタードを用いる人もおり、また表面の色が変わる程度に軽く焼きを入れてもらう人も見受けられた。

矢張り日本人は「生」が好きなのであろうか、メンバー全員にも大好評。私は3日間のParis滞在で3度もこの「Steak Tartar」をオーダーした程。仄かに味の付けられた生肉と卵黄の円やかさ、そこに玉葱の辛味やケイパーの酸味が合わされば、それこそ各食材のもつ素材の味が見事なハーモニーを奏で出し、これは本当に美味なり。美味いものに巡り会ってすっかり気を良くした私は、大好きな赤ワインも調子良く何本も空ける始末で、結局Paris滞在の3日間で随分散財はしたものだが、されど美食こそ人生の最大の愉しみなれば、斯様な仔細事気にもせぬ。「美食こそ旅の愉しみ」常に斯くありたいものである。

(2003/6/25)

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