『人声天語』 第138回「男は黙って噛み締めろ!(AMT & TMP U.F.O.欧州ツアー2007)」其之八

11月24日(土)
午前7時起床。突然のめばちこ発症、右瞼が腫上がり、まるでどつき回されしボクサーの如し。未だ皆眠っておればシャワーを浴び、ひとり朝飯を食わんと、昨夜のケータリングよりチーズやらハムやらジャムやらにてパンを食らいし。

巨大温風ファンが設置されておれば、先程洗濯せしTシャツ等も一瞬にして乾く程にして、兄ぃも洗濯に勤しんでおられ、東君も浸水被害にて今や悲惨な状態と化せしブーツを乾かさんとす。兎に角ツアーに於いて「毎日こまめに洗濯」こそ、如何に着替を持参せぬか、如いては荷物のコンパクト化に繋がれば、面倒臭かろうと隙あらば洗濯に勤しまねばならぬは必定、されど闇雲に洗濯すればいいと云うものにあらず、必ず次の出発までには乾燥させ得る確信を持てる場合に限られる。故に私は、常に乾き易き素材のシャツを持参する事を心掛ける。洗濯嫌いの津山さんのみ、常々同じ服を暫く着続けては捨てて行く方法を取っておられ、帰国する頃には、嘗て衣類にて占められしスペースに、ツアー中に購入せしレコードが詰められる塩梅。 
矢張りパンでは腹保ち悪く、またしても空腹感に襲われるや、キッチンにて何か物色せんと赴きて、昨夜の残飯たるサラダとリゾット・ミラネーゼを見つければ、早速食さんとす。サラダは生野菜のみを選べば問題なく、リゾット・ミラネーゼは、すっかり冷め切りし故か、あの米を愚弄するかの如き「外は柔らかく中は芯が残る」忌まわしき食感も失われ、まるで普通の冷飯の如し、元々若干のカレー風味が添えられておれば、戸棚を物色しウスターソースを発見、本場イギリス産のウスターソースは日本の其れとは味こそ異なれど、兎に角私にとってドライカレーにウスターソースはマストアイテムなれば、この際背に腹は代えられぬと、適量を振り掛けるや極薄カレー味のドライカレー擬きと化し、更に唐辛子を加えるや、問題なく食し得るどころか、昨夜よりもこちらの方が美味に感ぜられし程。

午前11時、タクシーにてWinterthur駅へ。駅構内のCD店にてCDR50枚を22.90CHF(2176円)にて購入。これは、今や新譜「Acid Motherly Love」を始めバンド名義の全商品がソールドアウト寸前故、急遽ライヴCDRを製作し販売せんとする事を決定せしが為。昨年のAMT祭に於いて前売特典として配布せしCDRの音源ファイルが、私のiBookに残されておれば、それをそのまま収録する予定にして、残されしはジャケット製作のみなり。ジャケット製作と云えど、わざわざiBookを駆使するつもりなく、何かネタさえあればそれを加工しカラーコピーにて製作する所存なり。されどヨーロッパに於いては、日本の如くカラーコピー機がコンビニ等にて容易に見つけられる訳でなく、若しくはアメリカの如くカラーコピー機を常備するKinko’s等の大型文具チェーンがある訳でもなく、わざわざ所謂コピーショップへと赴き、スタッフに原稿を渡しコピーを依頼せねばならぬと云う、真に以て非効率的システムが主流なり。故にカラーコピーせんと思えど、先ずコピーショップを見つけるも容易ならず、またスタッフのみがコピー機を操作し得る故、場合によっては混み合い長蛇の列を為し、挙げ句たかがカラーコピーに2時間近くも要する事さえあり。コピー機如きの操作に何故専門職が必要なるか、そもそもカラーコピーに2時間も要せども、誰も疑問さえ抱かねば憤慨すらせぬその心情こそ計り知れぬ。 
午前11時28分発Lausanne行きICNに乗車、Wintherthur~Martignyの運賃は84.00CHF(7980円)也。Zurichより乗車せり中国人一家が、徐ろに持参する弁当を開くや、海外の広東料理店(所謂華僑による中華料理店)ならではのあのタイ米等が持つ特有の臭さが、八角等の香辛料の匂いと合わさり、えも云われぬ異臭となりて車内に充満、そもそも広東料理を好まぬ私はこの異臭に悶絶死寸前、不快感爆発にして怒り心頭。嘗てはあれ程ツアー中世話になりし中華料理なれど、今やこの異臭により中華料理に対し拒絶感さえ生じ、斯くなる上は、大陸系糞アジア料理店を根絶せんと決意し、予てより唱えし大東亜美食共栄圏なんぞ只今を以て白紙撤回、糞食らえ!自分の贔屓に思う物に似て非なる物こそ最大の敵にして、混同され誤解もされれば、これを完全殲滅滅亡させぬ限り、自らの美学や価値観なんぞ死守出来ぬと知る。日本の中華料理、特に四川料理なんぞ大いに美味なれど、何故広東人たる華僑の中華料理は斯くも不味いのか、そもそも彼等も移り住みし土地土地の味覚に合わせ多少のアレンジを施しておろう故、彼等の味に影響を与えしヨーロッパ人やらアメリカ人こそ断罪されるべきか。美食天国日本に於いても、創作和食やら無国籍料理なる、諸外国の食文化より多大な悪影響を受けし代物も蔓延る昨今、遂にはアメリカン寿司屋なる、アメリカの寿司屋にて考案されし到底寿司と呼ぶ事さえ憚られる奇妙奇天烈なる寿司を食わせる寿司屋さえ現れしとか「日本人よ、目を覚ませ!」藤岡弘、ならずとも思わず叫びたくもなるか。 
午後4時過ぎ、我々が呼ぶ処の「牛頭の街」Martignyに到着。オルガナイザーのBalthazarが車にて迎えに来てくれておれど、車に全員乗れぬ故、荷物のみ彼に預け、徒歩にて今宵の会場Caves de Manoirへ向かわんとす。東君はいきなり眼前に広がるアルプスとタワークレーンのコラボレーションをカメラに収めんと夢中なり。Balthazarと共に駅へ迎えに来てくれし今宵の機材を積みし車に、2名ならば乗り得るとの事で「誰か乗る?」と尋ねれば、一同徒歩にて向かうとの返事、ならばと私のみ乗せて頂く事にすれど、これが後で意外な諍いを勃発させるとは、この時点にては当然予想だにせず。今宵の会場Caves de Manoirは駅から徒歩10分程度の距離にして、以前Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoにて訪れし折も、駅から徒歩にて向かいておればこそ、当然東君も兄ぃも道は覚えておると思い込みしが間違いか、我々の車が到着し既に10分以上経過すれど、彼等は未だ到着せねば、Balthazarも大凡道に迷いしかと心配し車にて迎えに発つや、私も徒歩にて彼等を探しに駅の方へ向かわんとす。表を歩けば彼等を乗せるBalthazarの車を確認、どうやらCaves de Manoirの目の前まで辿り着いておれど、結局道に迷いしとかで、津山さんの東君と兄ぃへの怒り半端にあらず「道知らんねやったら歩いて行くとか言うな!ボケェ!」実は会場への道を明確に記憶せしは私のみらしく、そもそも東君はタワークレーンの撮影に夢中なれば、私が車に乗りしさえ気付かずとか、Martignyに初めて訪れし故、大凡眼前に広がるアルプスを眺めつつ歩かんと思われしか津山さんは、兎に角彼等2人に付いて行くしか術なければ、その憤りも仕方なしか。然れどツアーも中盤を過ぎれば、知らず知らず疲労も随分蓄積され、また24時間行動を共にすればこそ、お互い些細な事が鼻に付く程に鬱陶しさも増す頃合か、これも毎度の事なれば、無骨なる我々でさえ、お互い耐えるべきは耐え忍ぶべきは忍び、気遣いやら気配りなんぞに腐心すればこそ、ツアー中にバンドが空中分解する程の喧嘩までには到らぬか。もし我々が20代のバンドならば、疾うの昔に解散しておろうとは想像に易し。喧嘩をするは人間なれば当然、兎に角遺恨を残さぬ事こそ要なり。矢張り歳を重ねれば、否が応にも人間出来て来るものなるか。
Balthazarの運転にて、私と津山さんは裏手に聳える山へ登れば、絶景かな、絶景かな、夕暮れ迫るMartignyの街に灯り始めし灯りの数々とアルプスの稜線を一望、Balthazar曰く「次回は是非1日オフを作ってゆっくり山へ登ろう!」 
サウンドチェックを済ませれば、MartignyのゴッドママNathalieの手料理による晩飯なり。先ずは南瓜のスープ、程良くクリーミーにして塩加減も絶妙、ヨーロッパに於いては塩加減薄く調理し、各々が好みにて塩を足すが普通なれば、流石はMartignyが誇る料理自慢のゴッドママか。続けて主菜は、黒米+豆腐のトマト煮込み+海老のフリッターのトマトソース添え、こちらも大いに美味そうにして期待大。黒米を始めとする古代米の産地たる明日香村に住んでおれど、黒米は大抵白米と混ぜて炊くが定石なれば、黒米のみの御飯なんぞ初めてお目に掛かる代物にして、大いに興味深し。豆腐のトマト煮込みとは、所謂ベジタリアン料理なれど、この一見奇異なる料理も、鶏肉のトマトソース煮と麻婆豆腐の間の子の如しにて充分に美味、海老のフリッターのトマトソース添えは、これまた揚げ具合も問題なく美味にして、あまりの美味さに思わず皆で御替わりすれば、これにはNathalieも大喜び。デザートは私の大好物アップルパイ、日本に於いて近頃の風潮たる「甘さ抑えめ」やら「甘さ控えめ」なるは、無類の甘味好きたる私にとって大いに物足らねば「甘いもん云うんは甘くてなんぼやないけ!」大いに憤りを感ずる次第なれど、このアップルパイは程良い甘さにして、皿の上の2切れなんぞ一瞬にして食し終えるや、その様子を伺いしBalthazarが「残ったアップルパイはマコトのものだよ」と、8切れも皿に乗せて運んで来れど、これまた一瞬にして平らげし。可愛い女性と甘味は罪なり。

嘗て2005年にAcid Mothers Temple & The Cosmic InfernoにてMartignyを訪れし際、人声天語第123回「文句垂之助の欧州地獄旅」#6にも記せし通り、前代未聞の珍道中の末に漸く辿り着き、また翌早朝にはGeneveよりフライトせなばならねど列車にて向かうは不可能と判るや、Balthazar達が、終演後遥かGeneve空港まで車2台にて夜を徹し運転してくれし経緯もあれば、そのBalthazarを始め、前回Geneve駅にて最初に我々を発見し、Martignyにて我々を待つBalthazarへ連絡してくれしドレッド女性ことDelphine、またBalthazarより連絡を受け、Geneve駅にて立ち往生せし我々を救出してくれしデザイナーの金髪美女ことVidyaは、我々との再会を大いに喜んでくれながらも「あれは忘れもしない奇跡的な出来事」と云いつつ大笑いする始末。私よりも長身のDelphineは、ドレッドからストレートのロングヘアに変わっておれば「随分雰囲気変わったね」「あれからもう2年も経ったから…私も大学を卒業して、このCaves de Manoirの2階にあるアートギャラリーで働いてるの」毎年同じような暮らしぶりを繰り返す私にとっては、彼女と会いしもつい先日の事の如きに思われれど、実は2年も経過しておれば、若き彼女にとっては、生活の変化等多かればこそ、その体感時間は大いに異ならんか。

斯様に彼女等と歓談しておれば、ここで再会の祝杯を上げんとウォッカを取り出し「Kalashnikov(カラシニコフ)」なる奇しくも旧ソ連製自動小銃の名を冠するMartigny流飲み方にて乾杯せんと云う。先ずコーヒー粉と砂糖を塗せし櫛切りレモンを口に含み、そこへウォッカを一気に呷ると云うよくある飲み方にして、これがまた美味なれば最早止める事は不可能なり。 
ライヴは盛況にて終了、物販業務も終えし社長津山さんと、酸欠寸前までドラムを叩き込み流石にお疲れの兄ぃは、楽屋にて爆睡しておれば、Balthazarに2人をホテルへ案内して頂かんと依頼、これにて心置きなく飲み明かし得ると、再び皆とカラシニコフにて乾杯となるは当然か。何と今日はDelphineの誕生日との事なれば、乾杯は更に続く有様にして、遂にはバーのレモンも尽き、ならばオレンジにて代用せんと、結局はウォッカのボトルが全て空になるまで続きし次第。 
午前4時頃ホテルへチェックイン、ケータリングより失敬せし缶ビールを呷り、午前4時半就寝。

 

11月25日(日) 
午前9時起床、再びめばちこ発症しておれば、目薬を投与。朝飯を食わんとホテル内のレストランへ、ビュッフェ・スタイルなれば、コーヒー+オレンジジュース+パン+ハム+シリアル+桃にて済ませし。斯様なる朝飯も「取り敢えず腹が膨れればそれでええし、この中で何かちょっとでも美味いもん見つけて、それを楽しまんな」と、今や何の違和感さえ感ぜざりし。

午前10時にチェックアウトすれば、折良くBalthazarが迎えに来し。本日は皆で昼飯にチーズフォンデュを食らう予定なり。Vidyaと彼氏、その他のスタッフも合流し、いざレストランへ。日曜日故に、一部のカフェやレストランを除き全ての店舗が閉まっておれば、大快晴にも関わらず通りの人影はほぼ皆無、眼前に聳える雄大なアルプスを眺めつつ、このヨーロッパならではの日曜日の朝の静寂を満喫。 
さてレストランへ赴けば、白ワインとチーズフォンデュ2種(プレーンとトマト風味)、更に私の大好物ステーキ・タルタルを注文。チーズフォンデュは、以前Fractal Recordsを主宰するJeromeとアルプスの麓にある彼の実家に投宿せし折、彼の両親と共に頂きし経験あれど、日本の其れと異なり、パンのみをチーズに絡めて食らうスタイルにして、野菜等もチーズに絡めて食らうは、大凡日本人によるアレンジか。勿論このレストランに於けるチーズフォンデュも、プレーンに関してはパンを串に刺しチーズに絡めるスタイルにして、トマト風味の方は、蒸かせしジャガイモを皿の上にて潰し、そこへチーズをぶっ掛けて頂くスタイルなれば、チーズの味に合わせ食し方やら具材が異なる様子なり。さていざ食らい始めるやあまりの美味さに、我々AMTの鍋は、2種の鍋共一瞬にて空となれど、スイス人勢の鍋はと云えば、皆雑談しつつゆっくり食す故、いつまでも残っておれば、ここで料理好きの主夫たる兄ぃ曰く「なんか向こうのチーズは、トロッとしてるね」成る程、時間を要して食す故に、チーズがジワジワ煮詰まりて、随分濃厚な具合に見受けられし。津山さんも「あっちのん美味そうやなぁ」と羨望の眼差しにて眺めておれど、そもそも我々が2鍋共一瞬で食い尽くせし要因は、津山さんの尋常ならぬ速食いのせいに他ならぬ。

続けてステーキ・タルタルが運ばれて来るや、初めて目にする料理に関し、飽くまで保守的且つ臆病なる津山さんは「これ何や?」私の記憶が正しければ、嘗てParisにてJeromeやCottonも交え、皆でこの逸品を幾度か食せしと思えども、私の大好物にして生ハンバーグの如き代物と伝えるや「なんや、ほなユッケみたいなもんか」安堵されしか一口食らえば「おおっ!美味いやん!」この逸品を初めて食すと云う兄ぃも「う~ん、美味いね、これ…えっ?何これ?う~ん、美味いよ!」

大いに満喫満腹満足すれば、私のみ最後の締めに「Ammazza Cafe」として、度数40度程度のスイスのローカルリキュールを呷る。ヨーロッパ各地のローカルリキュール探訪は、今や私の数少ない愉しみのひとつなり。 
我々の荷物は、Geneve在住のVidyaの車にて、Geneveの会場まで運んで頂ける手筈なれば、荷物を彼女の車に積み込み、我々はBalthazarと共に列車にてGeneveへ向かわんとす。午後2時50分発Geneve行きに乗車、Martigny~Geneveの運賃は37.00CHF(3515円)也。 
午後4時20分頃にGeneve着。今宵の会場L’Usineは駅から徒歩10分程度にして、幾度となく訪れておれば、徒歩にて向かわんとす。L’Usineの入口横にレコード屋を構えるDamianは、家族と旅行中との事で再会叶わず。既にVidyaにて荷物も届けられておれば、サウンドチェックせんと思えど、店のアンプが悉く壊れており為す術なし。そこへ今宵の前座バンド御一行が到着すれば、そのバンドのツアーマネージャーは、何と以前イタリアにて私とダモさんのデュオを某フェスティバルにブッキングせしFrancescoなり。彼に事情を説明するや、二つ返事にてアンプ類を貸して頂け、これにて無事サウンドチェックも終了。楽屋にて無線LAN接続し雑務をこなしておれば、何とFrancescoがツアーマネージャーを務めるイタリアのバンドと今回一緒にツアーする今宵のもうひとつの前座たるカナダのバンドとは、先の北米ツアーの際にTorontoにてその2階に投宿せしレコード屋Sonic Boom Recordsの店員とか、これまた何たる奇遇。イタリア、カナダ、日本の3ヶ国のバンドが、ここスイスGeneveにて一夜を共にするも奇遇なれど、それがまた旧知の仲なりしとは、世の中何とも狭きものなり。 
さて晩飯は、スタッフの手料理にして、豆腐やら豆やらと野菜等のトマトソース煮込み+サラダ+ボイルド・ライスなれど、ボイルド・ライスがあまりにも不味そうなる見栄えなれば遠慮させて頂き、トマトソース煮込みとサラダのみ食せども、如何にもヨーロッパらしく殆ど奥行きなき希薄な味にして、されど取り敢えず空腹を凌げれば問題なしか。

ライヴは大盛況にして終了。終演後は、Francesco達イタリア軍団と飲めば、彼等の陽気さにまるでイタリアにいるかの如き錯覚さえ覚える始末。BalthazarやVidya、その他再会せしGeneveの知人達ともグラス片手に歓談後、会場3階にある宿泊施設へ、明日のフライト用パッキングも済ませ、午前5時就寝。

 

11月26日(月) 
午前9時起床。オルガナイザーが、朝飯を午前9時半に用意すると伺いておれど、彼も明け方まで店のスタッフとして働いておれば、どうやら寝坊せしか、朝飯が用意される気配なければ、午前10時タクシーにてGeneve空港へ。本日のフライトもScandinavian航空なれば、何の問題もなくチェックインを済ませれど、Copenhagen空港が雪の為、午前11時45分発が午後12時20分発に遅延。これにてスイスフランも必要なければ、メンバー全員の手持ちの小銭を集結させ朝飯を共同購入、私はツナサンドウィッチを選び、タバスコを大量にぶっ掛けて頂けば、充分食し得る味となりし。

さて東君は、空港の窓よりタワークレーンの撮影に夢中なり。午後12時20分発Scandinavian航空Copenhagen行きに搭乗、機内にて爆睡すればドリンクサービスさえ気付かず終い。午後2時過ぎにCopenhagen空港に到着、Oslo行きへの乗り換えまで時間もあれば、まるで電話ボックスの如き喫煙所「Smoking Cabin」にて一服。

流石に空腹なれどデンマーククローネは持ち合わせぬ上、ユーロにての値段表示を見れば、ホットドッグでさえあまりの高額にて手も出せず。Copenhagen空港には、アメリカ帝国主義的超重量級養豚料理戦線による世界侵略作戦の急先鋒たるマクドもバーガーキングも進出しておらねど、その代わりに高級海鮮料理店なんぞが軒を連ねておれば、当然の如く高嶺の花にして近寄る事も叶わぬか、ショウケース内の巻寿司なんぞを恨めしく眺める津山さんは「もうヤケクソで寿司でも食うたろかな!」されど質素倹約を旨とする私と東君は全くの無関心を決め込めば、津山さんも「やっぱりやめとこ…」一方兄ぃは、高額なるホットドッグを食しておられれば「もうお腹が減って我慢出来なかったからね…」Osloに着きさえすれば、Per君が晩飯を用意してくれると聞いておればこそ、ここは堪え難きを耐え忍び難きを忍ぶのみ。

午後3時35分発Scandinavian航空Oslo行きに搭乗するや、再び爆睡。 
午後4時45分Oslo空港に到着、何故受託手荷物受取所に免税店が隣接せしか。帰国して未だ尚、免税店にて買い物し得るとは、全く以て不可解なれど、ノルウェイも税金大いに高ければ、受託手荷物を待つ間さえ惜しむ買物客にて大いにごった返す有様。さてPer君の待つOslo Sentral駅(Oslo S駅)へ向かう為、列車の切符を購入せねばならねど、ノルウェイクローネ(NKR)を所持せぬ故、先ずは両替せねばならじ。電話にてPer君に、空港からOslo S駅までの列車の運賃を問い合わせれば、Oslo Lufthavn(Oslo空港)とOslo S駅を結ぶ高速列車Flytogetは160NKR(2720円)と伺っておれど、今夜の分と、更に明日Trondheimへ行く際に再び空港まで戻らねばならねども、今宵はオフにてノルウェイクローネを得る機会無き故に、往復分として最低限320NKR(5440円)は必要にして、更に明日の朝飯の食材なんぞも購入せねばならねば、差し当たり大凡450NKR(7650円)分は両替の必要ありか。ならばと空港にて550SKR(8250円)を両替すれば460.79NKR(7833円)これにて当面は凌ぎ得る筈なり。さて列車の切符を買わんとすれば、160NKR(2720円)にあらず170NKR(2890円)なり。約30分程の列車の旅にてOslo S駅に到着、Per君とSynestetic Recordsを主宰するPetterが迎えに参上、Per君の家は徒歩10分程度なれば、雪の積もる中を徒歩にて向かいし。ブーツが連日浸水し、今やビニル袋を靴下の代用とする東君は、この雪道にて大いに音を上げる始末。 
ビルのワンフロアを数人にて占拠するPer君宅に到着すれば、同スペース内に事務所を構えるノルウェイ・アングラ音楽シーンの重鎮Kaiとも再会。今宵はそのKaiが自慢の手料理にて持て成してくれるとか。ノルウェイの郷土料理と伺うや、2002年に此の地を訪れし際に矢鱈と見掛けし一見餡掛け肉団子擬きの如き料理ありて、されどその餡がまるで「遊星からの物体X」若しくは「エイリアン」等SFホラー映画のグロテスクなる特撮シーンにて見受けられる糸を引く透明の液体の如き、そのあまりの気色悪き見栄えが、まるで牛に反芻させしかとの如きなれば、勝手に「反芻肉団子」と命名せし代物にして、もしやKaiの手料理たる郷土料理とはその「反芻肉団子」なるかと、思わず色めき立てど、牛肉やら豆やら野菜やらのカレー風味煮込みなれば、大いに安堵せり。皿にマッシュポテトを盛り、そこへこのカレー風味煮込みをぶっ掛ければ、辛味こそ皆無なれど、思いの外クリーミーにして味の奥行きもあり大いに美味なれど、Kai曰く「変と思うかもしれないが、ここにジャムを混ぜて食えばもっと美味いんだ!騙されたと思って試してみてくれ!」ホンマかいな?カレーにジャムは合わへんやろ…。されどKaiのみならずPerやPetterもジャムを混ぜて食らいておれば、満更嘘にあらざるかと、恐る恐る試みんとす。「ぐぇええええええ~っ!」生命の危険を感ずる程には不味くなけれど、そもそもカレー風味煮込みは充分に美味なれば、何故わざわざ不味くせねばならぬか。ジャムが混入せし部分のみ早々に片付け、プレーンのカレー風味煮込みにて口直しせしは云わずもがな。

メンバー一同そろそろ流石に疲れしか、食事が済むや否や揃いて即寝成仏せし中、何故か独り覚醒状態なる私は、ワインやらビールやらを呷りつつKai達と歓談、さてもう既に午前3時頃かと思えども、北欧故に日没が非常に早ければ、未だ深夜12時にして思わず唖然、されど体内時計に従わんと、未だ午前12時半にも関わらずこれにて就寝。

 

(2008/01/03)

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