『人声天語』 第98回「Japanese New Music Festival European tour 2003 日記」第3週目

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第3週目

10月15日「Hamburg (Germany)」

7時半起床。吉田氏に貰ったマイナスイオン・シーツの御陰かよく眠れる。朝食は、海苔たらこおろしスパゲッティー+トマトジュース+味噌汁。荷作り&メールチェックにて午前中を過ごす、然してやるべき事もなく退屈気味。吉田氏と共に郵便局へ、北欧で書いた葉書を漸く投函、カード1枚につき1ユーロ。近所の食料品店にてインスタント拉麺を購入、日本より持参した食料は、カップうどん1個を残し既に殆ど消費済み。昼食は昨日と同じタイ料理屋にて、ランチのレッドカレー×2+スープヌードル×1をテイクアウトし3人でシェア。と突然、Berlin在住のLeonid Soybelman(Ne Zhdali)が津山さんを訪ねて来た。日本で録音したマスターが未だ届いていない云々、どうやら郵便事故の模様。2時過ぎTim宅を出発、地下鉄にてBerlin Ostbahnhof駅へ、3時半Berlin Ostbahnhof駅発Hamburg行きICEに乗車、3人で103ユーロ、流石にICEは高い。乗車するや爆睡。6時10分Hamburg Ostbahnhof駅着。オルガナイザーへ電話通じず、自力で今夜の会場Molotowへ向かう。地下鉄U3にて6駅で下車徒歩5分、7時過ぎにセックスショップの並ぶ歓楽街の中に並ぶ一件のクラブに到着。オルガナイザー兼ミキサーのLaetonは阿呆アメリカ人的なノリで、何故かとても初対面とは思えない。予定されていた到着時間を大幅に遅れて辿り着いた我々に対し、彼の第一声は「何か飲む?」そこでHamburug特産のビールを頂く。ところが彼は「ドラム以外用意するのを忘れていた」と、私と2人、車で彼の練習スタジオへアンプを取りに行く。全く呑気な話である。スタジオは階段の電気がつかず真っ暗闇、その中を2人してアンプを運ぶ。クラブへ戻りセッティング、されどLaetonはマイキングする訳でもなく、今度は「コーヒー飲むか?30分前に入れた不味いコーヒーじゃなく今から入れるスペシャルなヤツだ!」とカプチーノを入れてくれ、「ケーキも食え」とお茶菓子まで用意。そして漸くセッティング開始。サウンドチェックを済ませた頃には客もゾロゾロ来始めており、もう既に9時半。10時開演と言っていたが、Laetonは「じゃあディナーにしよう!」結局ベトナム料理屋からのテイクアウト、エビ炒飯をオーダー。しかし届いたのは10時15分、開演は自ずから10時半となり、吉田氏と津山さんはダッシュで食い始めたが、私は終演後に食す事にし赤ワインを飲む。ポルトガル産のワインで渋いが水で割ったような薄さ、Laetonもアメリカン・フレーバーな男だが、出されたワインもアメリカン・フレーバーとはこれ如何に。10時半開演、客は100人程度、ここの広さにしてはまあまあの入りか。ZOFFYの演奏で、前にいる女性達がハイドパーク踊り※1 )を踊っている!アンコールは「Hey hey Good-bye」からコアのメドレーにて終演。久々に客のノリが良く、津山さんは途中から全開状態。終演後ドイツから出すカップリングCDのマスターコピーをレーベルの人が持参、更にそのレーベルが出したBrain Ticket等のCDを貰う。またドイツのロック雑誌にAMTが取り上げられていると、その雑誌のライターが雑誌をくれた。更にAMT巻頭10ページ特集号ファンジンも貰う。Laetonも言ってたが、結構AMTはドイツでも有名だとか…ドイツは、99年以来東京同様ライヴを一度も行った事がないので、これは意外。終演後、楽屋で漸くエビ炒飯を食す、旨い!バーでペルノーを頂き、Laetonの案内で宿泊先へ、徒歩10分。「MONOYOKO」と言うカフェバーの2階、ツアーバンド用の宿舎兼「MONO YOKO」とクラブの事務所になっている様子。Laetonの話では、近所に中古レコード屋が数件あるとかで、明朝に津山さんと行く約束をし、3時半即寝成仏。

10月16日「Koln (Germany)」

8時半起床。シャワー、朝食は味噌汁と昨日買ったインスタント拉麺とを合体させ味噌拉麺。10時開店を想定し、津山さんと中古レコード屋探しに出発。しかし何処も未だ開店にはほど遠く、結局諦めて荷作り。吉田氏はRUINSのベース・トラックの手直しに終始。11時半、Laetonが迎えに来てくれ、駅まで車で送ってもらう。こいつどうも英語がアメリカ訛りな上、思考行動パターンが矢鱈とアメリカっぽいと思えば、生まれ育ちはここHamburgなれど純血アメリカ人であった。駅にてドネルカバブを食す。12時46分発Hamburg Ostbahnhof駅発Koln行きIC乗車。車内にて昨日Laetonから貰った赤ワインの残りをチビチビやって仮眠。吉田氏と津山さんは同席した黒人の小さな女の子2人に気に入られて一緒に遊んでいるが「チンポ」「マンコ」等という日本語を教えては面白がっている。5時半Koln Ostbahnhof駅着。地下鉄に乗り換え今夜の会場Loftへ直行。ケルン交響楽団のフルート奏者Hans Martin Muller氏が「趣味でやってる」というこのスペース、ジャズ系のライヴやレコーディングを行っている様子。サウンドチャックは自分達で勝手にやり、近所の中華料理屋「萬寿宮」へ。私はエビ炒飯、吉田氏と津山さんは何やら正体不明のものをオーダー。ところが待てども暮らせど一向に料理が出て来ない。結局1時間近く待たされた挙げ句、漸く出て来たと思いきや、ここの料理が超絶的な激不味にして、炒飯も油でベタベタで気持ち悪かったが、何とか食べることは叶う程度、されど他の2品はもうこの世のものとは思えぬおぞましさ。1時間も待たされた上に空腹なればこそ、そして何より自腹で払わねばならぬからこそ、吉田氏も津山さんも「不味い~」を連呼しつつも口に運ぶ。中華と云えども油断は禁物。

さて会場に戻り、8時半開演。客は100人程度で8割程度の入りか。ロビー兼バーのみ喫煙スペースである為、喫煙者はホール内に入らずロビーからガラス扉越しに見るしかないのは可哀想か。ドイツはどうやら嫌煙化しているのか、列車でも禁煙席は混み合っているが喫煙席は空いている。赤天とRUINSの間、ロビーにてビールを呷りつつ煙草を吸っておれば、先程の激不味炒飯が効いてきたのか、猛烈に気分が悪くなる。ここのスペースの「アカデミック」な雰囲気の為か、客の反応は静かめで、やはりドイツ人は日本人と似ているのか。11時に終演、その後はバーテン兼もぎりを勤めるHans氏の息子に、赤ワインを貰いまくり飲み倒す。「AMTが来る」って事で300kmの道程を4時間かけて来た人達もいたそうで、矢張りドイツでの浸透度に驚く。結局朝3時半まで赤ワインを飲み続け、レコーディングのミキシング・コンソール室にて就寝。

10月17日「移動日(KolnからLondonへ)」

7時半起床。先日買ったマッシュルームスープをすする。昨日の激不味炒飯のダメージで食欲ゼロ。気分が優れぬので再度寝る。朝9時半、本日ここで10時からレコーディングがあるとかで、スタッフがやって来る音で目が覚める。Hans氏が「イギリスは物価が高いから」と赤ワインを2本土産にくれる。10時半出発、再び地下鉄に乗りKoln Ostbahnhof駅へ戻る。Hans氏の話では、Maatricht空港への直行バスがあると云う事だったが、結局Maatricht空港行きバス発着所が分からず、Aachenまで列車で行き、そこからMaatricht空港行きバスに乗る事にする。フライトは6時なので、Koln駅前の大聖堂を観光、楽器屋へ行き吉田氏はシールドを購入、その後再び中華料理屋へ。昨日の反省をもとに全員炒飯を、私は更にサラダもオーダー、されど後から来た中国人客達の料理は次々出されていく中、我々のオーダーは野菜サラダ以外全く出て来る気配なし。こいつら完全に日本人を嫌悪している様子なれば、こちらの中国人に対する印象も増々悪化の一途を辿る。このサラダも驚異的に不味く、ドレッシングを除去し持参したマヨネーズをかけて食す。漸く炒飯登場、取り敢えず普通の味で安堵。駅へ戻り10分遅れで来た1時16分発Aachen行きRE乗車、約1時間の車中では爆睡。AachenにてもMaatricht空港行きバスは見当たらず、ならば取り敢えず路線バスにてMaatricht駅へ向かう事に。国境を超えオランダへ、漸くMaatricht駅着。ここで空港バスの表示を見つけたが、バスが来る気配一向になし。仕方ないのでタクシーにてMaatricht空港へ。無事チェックインを済ませ、何か食べようと思えど、ここにあるのはバーと売店一件のみ、結局ポテトチップスしか食べられるものなし。ポテトチップスを食べつつ搭乗を待つ。Ryan Air 6時10分Maatricht発6時5分(時差あるため実質1時間のフライト)London Stansted空港着。空港ExpressにてLondon市街Liverpool Street駅へ、所要時間45分。そこから地下鉄に乗り換え、8時半に我らの定宿Glynさん宅着。Glynさんの出迎え、そして既に昨日London入りしていたCottonと東くんと再会。東君がカレーライスを作ってくれており、これには感謝感激。嗚呼、カレーライスの何たる美味な事!Kolnより持参した赤ワイン2本を飲みつつ皆でZepのDVD鑑賞。Glynさんは近所のパブで演奏があるとフルートを抱えて外出。シャワー&洗濯、明日から数日間のUKラウンド用の荷作りを済ませ、1時過ぎ就寝。東君とCottonはすっかり時差ぼけの様子。

10月18日「Birmingham (England)」

7時起床。時差ぼけの東君が明け方炊いておいてくれた御飯をフリカケ+海苔+味噌汁で頂く。津山さんは朝から中古レコード屋へ行く気で準備万端、9時半にはもう荷物抱えてレコード屋へ出発、12時過ぎにEuston駅で待ち合わせ。10時過ぎに時差ぼけで未だ寝ている東君とCottonを起こし、マッシュルームスープをすすり、出発準備。11時15分、Glynさん宅を出発、Glynさんも同行する事となり、しばしGlynさんを待つ。地下鉄の駅まで荷物を抱えて徒歩20分、地下鉄Circle lineに乗ったが、Birmingham行きの列車が発着するEuston駅とEuston Ssqare駅と間違え、この線ではEuston駅に行くには乗り換えが必要、されど時間的に厳しくなり、途中下車してタクシーを拾うが道が渋滞、残り時間はもう数分もなし。Euston駅に到着したのは12時25分、我々のBirmingham行き列車も12時25分発、全員で荷物を抱え全力でダッシュ。切符を買わねばならないGlynさんを見捨てて、切符を予め用意してあった我々は何とか飛び込み乗車。車内にはレコードを買って御満悦な津山さんが座っていた。Royal Festival Hallで共演する際にサインを貰うとIncredible String BandやRobin WilliamsonのソロLPまで購入してる。2時間の列車の旅にてBirmingham着。来月イギリスにてCottonとジョイントするMonolabとBillが駅へ迎えに、タクシーで今夜の会場Birmingham Academy 2へ。2時半サウンドチェックと聞いて早く来たにも関わらず、クラブには未だ機材も何も届いておらず、オルガナイザーAndiさえも来ていない。遅れてGlynさん到着。クラブのビールを勝手に飲んで待つが退屈な上、早く来させられた事に対し無性に憤慨。近所の中華ファーストフードShanghai Somにて1.5£の炒飯とバーガーキングで0.99£のオニオンリングを購入し昼食。イギリスの物価の高さには閉口。クラブに戻ると機材到着、されどタムホルダーとドラム椅子が無く、サウンドチェックは進まない。5時漸くサウンドチェック。サウンドチェック終了後、Andiが到着。このどうしようもなく無意味な午後を送らされ憤る吉田氏は「大根とワインが用意されてなかったら(Andiと約束した)AMT mode HHHの80分演奏は30分でやめる」と言っていたが、残念ながらちゃんと用意されていた。「Japanese School Girl」好きのAndiに「フェラチオ240分」というDVDをプレゼント、勿論彼は大喜び。Swordfish RecordsのMikeがワインと大根持参で到着。先日の「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour」Birmingham公演のDVDも持参。ジャケットも丁寧に作られた私家盤にして何と限定3セット!以前のAMTツアーでスタッフを務めたKerrieとDarrenも来場。Kerrieからスタンドアップ・カラー付きのブラック・ケープ(黒マント)と人魚歯ブラシを貰う。こちらからはアンパンマンの大ファンであると云う彼女にアンパンマンチョコを。津山さんが久々にShopzoneをオープン。東君が持って来てくれた追加分のCDで久々に賑やかになったテーブル上ではあるが、猛烈な勢いで売れて行く。8時開演、ZUBI ZUVA Xは吉田氏が全開、「Europe」では3人とも吹き出し大爆笑でエンディング。「BITA VITA」でも吉田氏の強烈な踊りが爆裂、恐るべし吉田達也。ステージが然程高く無い為、客席の後ろではステージ上の様子が全く見えず、そう云う意味で赤天は少々辛いパフォーマンス。赤天演奏中にDaevid Allenが来場、再会を喜ぶ。ZOFFYでは「天国への階段」にてGlynさんがフルートでゲスト参加。私のギターの調子不良、内部断線してる恐れあり。AMT mode HHHはゲストにCottonと東君の2人を迎え、「Soleil de cristal et lune d’argent」をイギリス初披露、後は即興大爆裂。アンコールは「Hey hey Good-bye」から「Hyderomastgroningem」そしてコアへ。2度目のアンコールは「La Nòvia」をアカペラのみで、吉田氏は「Zubi Hymn」「Sleep」で絡む。最前列で見ていたDaevidをステージに招き、3日後に行われるAcid Mothers Gong @ Royal Festival Hallの宣伝も。終演後、津山さんはDaevidから「Lord Goddes Loop」なる名前を貰って御満悦。私はDaevidといろいろ打ち合わせ。Daevidは吉田氏のドラミングを「Great drumer! He is crazy!」と絶賛。即興で我々が猛烈に曲展開していくのに驚いていた様子。AMGでの衣装は、たまたま今日Kerrieからもらったブラック・ケープを着用しようかと云う話となり、Daevid曰く「Super Hero Makoto! RFHで君に名前をあげよう!それでパワーが授かる筈だ!」その後、Swordfish RecordsのMikeともリリース/リイシューの件で打ち合わせつつ、バーでウォッカを引っかける。タクシー到着、Cottonを除く我々3名+東君はホテルへ。CottonはMonolabとBillとで明日からBirminghamにて何やら録音するとか。ホテルにて2部屋をあてがわれ、禁煙(吉田&津山)と喫煙(河端&東)の部屋割り。東君と2人、赤ワインを飲み、東君が持参した真空パックの「ドライカレー」をシェア、お返しに「塩昆布」をプレゼント。3時就寝。

10月19日「Dandee (Scotland)」

7時半起床。朝食バイキングで目玉焼き+スクランブルエッグ+ベーコン1枚+ソーセージ1本+ポテト+ホットホールトマト+ハッシュポテト+シリアル+オレンジジュース+カプチーノ。う~ん、不味い。部屋に戻りシャワー、フライト用パッキング。テレビで日本産アニメ「遊技王」鑑賞。吉田氏と津山さんはベッド上でジャンプしてほたえてたらしく、疲れ気味…。11時、Londonへ戻る東君と別れ、我々はタクシーでBirmingham空港へ。今回のフライトはディスカウント航空会社のFly Be航空、本当にこの手の航空会社が増えた為、ヨーロッパ内のフライトは列車よりも格段安い。チェックイン後、空港内のSparにてサラダを購入、昼食。12時35分発の筈が2時間ディレイ、喫煙所を求めStarbucksにてコーヒー。しかし一向に搭乗ゲートさえアナウンスされず「wait in lounge」の表示のまま。2時過ぎにようやくゲートが発表されゲートへ移動、しかし今度は2時半になろうが一向に搭乗手続きが始まらぬ。結局搭乗したのは3時半、しかし今度は一向に飛ぶ様子なし。機長がコックピットに搭乗するや客から拍手が起こるが、再度外へ出て機長自らプロペラやタイヤをチェック、おいおい大丈夫か?予定より3時間半遅れの4時にようやく離陸、一路ScotlandはEdinburghへ。機内サービスは飲み物等通常有料なのだが、勿論大幅に遅れた為無料、紅茶とポテトチップスをオーダー、しかしこのポテトチップスで一気に胸焼け、気持ち悪し。5時半にEdinburgh空港着。オルガナイザーの女性が迎えに来ていた、彼女は2時からずっと空港で待っていてくれたらしい。今夜の会場のあるDandeeは更にここから1時間のドライヴとか、しかし今日はフェスティバルである為、6時半開演予定、何とか7時開演にして貰うよう連絡をして貰い、一路会場へ。途中渋滞や通行止めによる迂回等もあり、結局1時間半のドライヴ、7時過ぎに到着。会場であるDndee Contemporary Artは既に多くの客で賑わう中、荷物を抱えて会場入り。ホール中央にステージが設営され、周囲から客が囲む形式、周囲の壁にはビデオプロジェクション。慌ただしくセッティング&サウンドチェック、取り敢えず赤ワインを飲み倒す。7時半開演。ZUBI ZUVA Xが終わり赤天が演奏する間、煙草を吸うべく楽屋へ行くとDavid Keenanと再会。更に昨日出演していたアメリカのアンダーグラウンド・サイケバンドSunburn hand of the manのRonにも再会。この日のAMT mode HHHはIra Cohen監督の60年代サイケ前衛フィルム「The Invasion Of Thunderbolt Pagoda」のライヴサウンドトラック。オリジナル・サウンドトラックはLa Monte Youngによるものらしく、昨日はそのオリジナル版が上映されていたとか。フィルムは四方の壁に投影されているが、5分程度の短編イメージカットがループになっているだけで、されどトータル上映時間は45分と云う随分な代物(オリジナルがLa Monteであるのと云うも頷ける)、御陰でこちらは45分間の演奏となる。開演しばらくで何やらアンプの燃える臭いが、と思うや完全にバーンアウト、もう一台用意してあったアンプを取りに行きスイッチ。しかしこちらからも矢張り嫌な臭いはすれど、何とか最後までもちこたえ終演。されどこのアンプトラブルも含め、体力気力共に猛烈に消耗、そしてあまりに空腹。楽屋にてIra Cohen監督を紹介されるが、映画自体大して面白いものでもなく、何を話せばよいのやら、それよりも空腹にて悶絶。楽屋にてケータリングとして並ぶチーズやらハムやら果物やらの内、私が食べられる品目は僅かプチトマトのみで、特別に近所のインド料理屋にてカレーをテイクアウトして来て貰い漸く夕食。空腹にも関わらず一気に流し込んだ赤ワインの酔いと、ライヴの疲労で兎に角眠い。楽屋にて仮眠後ADSLを発見し接続、ホテルへ向かうもフロントのシャッターが閉まっている!どんなフロントやねん!人がおらへん云う事はあっても、シャッター閉まってるってなあ…。DavidやRonが「バーは朝まで開いているから一緒に飲もう!」と誘ってくれたが、今日は到底無理…兎に角しんどすぎ。ホテルは個室、凄く立派な部屋。AMTの来年のUSツアーに於けるカナダのフェスティバルの件等メールに目を通し、1時早々に即寝成仏。

10月20日「Glasgow (Scotland)」

7時起床。朝食バイキングにて、シリアル+目玉焼き+マッシュルーム+スクランブルエッグ+ソーセージ1本+トマトジュース+トースト1枚+コーヒー。昨日の朝食よりはマシか。シャワー後、フェスティバル事務所にてネット接続、AMTの来年のUSツアーブッキング等。ホテルの自室にてGongの曲をコピー、何しろAMG@RFHは明日である。12時15分ホテル出発、オルガナイザーの車でDandee駅へ。道すがらホテル近くに中古レコード屋発見、されど時既に遅し。駅にてターキーバーガー、ワサビを付けて食す。12時半の列車にて一路Glasgowへ、2時間でGlasgow駅着、3時タクシーにて今夜の会場であるSchool Of The Art内のVIC Barへ。機材の到着4時、サウンドチェックは5時との事で、近所を散策、日本食レストランの所在をツーリストセンターにて問えば、たった1件「Ichiban」なる日本食レストランがあるとの事。「Ichiban」にてIchibanオリジナルの逸品なるカツカレー焼そば+揚げだし豆腐+キリンビール。旨い。津山さんはうどん+寿司+御飯+生姜、吉田氏は拉麺、いずれも旨かった様子。ウエイトレスの女の子が愛想良い上かなり可愛い!会場へ戻りサウンドチェック、エンジニアは「3人で5ユニット」の意味を理解しておらず大いに混乱気味。8時会場9時開演。客入りは100人程度、2週間前にブッキング、ポスター等の宣伝一切無しの飛び込みライヴにしては上出来か。開演直前にアメリカのサイケバンドBardo Pondのメンバーが挨拶に訪れ大いに驚くと共に、思わぬ場所での再会を喜ぶ。何でも現在Mogwaiとツアー中にして、昨夜はGlasgowにてライヴだったとか。ZOFFYに客から「ヘイ・ジュード」のリクエスト、急遽「ヘイ・ジュード」を演奏。AMT mode HHHの際、Bardo Pondの歌姫Isobelに歌ってもらおうと思ったが、客席を見渡せど見つけられず。後で聞けば最前列で座っていたとか。終演後Richard Youngsと雑談、またBardo Pondの皆にビールを振るまい歓談。彼等は近くのクラブNice’n’Sleezyへ飲みに行くとかで誘われたが、しかし我々は明日早朝にLondonへフライトの為、タクシーにて宿泊先Mclaughlinさん宅へ。とても親切な夫婦で紅茶とチェリーウォッカを頂き雑談。明朝7時15分にタクシーに来て貰うよう電話で手配もして戴く。1時就寝。

10月21日「London (England)」

6時45分起床。矢鱈と朝が早い「健全なミュージシャン」である我々、流石3人共目覚まし無しで起きている。パッキングしタクシーにて8時の空港行き列車に乗るべくGlasgow駅へ向かうが、途中でGlasgow空港へ直行する事に変更。8時過ぎに空港着、無事チェックインし、朝飯はエスプレッソ・ダブル+クロワッサン1個+アップルパイ1個で£3.50也、高い!。空港でiBookにてGongの曲を復習。津山さんは空港内カジノのスロットで£20負け…。Ryan Air10時Glasgow発11時London Stansted空港着。11時45分発のStansted Expressで市内へ、Piccadilly Circusを目指す。Piccadilly Circusの日本食レストラン「てんてん亭」にてキリンビール+冷奴+鯖塩焼き定食。ようやく普段食しているようなものにありつけ安堵。更に日本食材屋にてうどんや拉麺を購入後、地下鉄にてRFHへ向かう。Waterloo駅にてRFHへの道を訊ねると、親切な女性が案内してくれた。2時過ぎRFH到着、入り口にてDaevid、Josh、東君、Cotton、Glynさん達と遭遇、彼等も丁度到着したばかりの様子。楽屋へ行くとDidierやビデオ班のFox、ダモさんと、ステージにてGilliと再会。サウンドチェックの用意、しかしDaevidの機材到着待ちで、3時半からサウンドチェック、この広いステージに、私、Josh、Daevid、Gill、Didire、Cotton、東君とフロント一列に並び、巨大なゴングの置かれたドラムセットの横に津山さんが陣取るが、流石にお互いの音が遠く、モニターにいろいろ注文するが、楽器数が多過ぎ困難を極め、結局Daevidの歌とギター、リズムセクションのみを選択。サウンドチェック後、バックステージのダイニングにて夕食、タイカレーは美味なれど、赤ワインはかなり不味い。Daevidの持参したコスチュームケースから皆で大爆笑の衣装選び、私はスパンコールが鏤められたシルバースーツを選択、これに先日Kerrieから貰ったブラック・ケープを合わせるや、まるでコズミック・ヴァンパイヤ。Daevidから「Dr.Gloovee Cranch Dance Star」なる何とも長い名前を授かる。東君は「Dr.Chikin Sandwitch」吉田氏は「You’re really YOSHIDA!」…それって結局「Yoshida」のままやんけ!Daevidと来年のGong欧州ツアーの打ち合わせ。11月に行われる鈴木清順監督作品「ツィゴイネルワイゼン」のライヴサントラ・ソロ公演のオルガナイザーMarekとも機材の詳細等打ち合わせ。Incredible String BandはRobin Williamsonが家庭事情で参加出来ず、Mike Heronが彼の代役をも兼ねる、これにはサイン用のLP等まで買って楽しみにしていた津山さん意気消沈。さて楽屋ではFoxを中心にDiderや津山さん、吉田氏による謎の爆笑セッション、「アホ」は言語を超越出来る事を見事に立証。ダモ鈴木バンドも終了し、9時半AMGスタート。モニターが殆ど聴こえずかなり辛い状況、途中「ガムラン」も導入されステージ上はまるで「宇宙から来た気違いヒッピーの祝祭」状態、結局全編インプロにて1時間半を越えるステージは終了。終演後、例によってGongファミリーが大挙して楽屋へ押し掛け、その混雑ぶりはまるで朝のラッシュの如し。楽屋にHugh Hopperらも顔を出す。2時過ぎタクシーにてGlynさん宅へ。昼に購入したうどんを食し、3時就寝。

(※1)ハイドパーク踊り
R.Stonesの「ハイドパーク」のビデオ等、60年代末のライヴビデオでよく見られる「狂ったように全身を痙攣させながら、阿波踊りともインド舞踊とも判らぬ妙な動きをする踊り」を、我々がそう名付けたもの。AMTのライヴに於いてもよく見掛けられる。(戻る)

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