『人声天語』 第123回「文句垂之助の欧州地獄旅(AMT &TCI 欧州ツアー2005)」#1

6月1日(水)

5月30日午後にはメンバー全員名古屋に既に集結、ツアーに於ける食糧等の準備もお互いの持参品目を参考にし合い、否、そもそも事前より、お互いに全員への配信メールにてメンバー各自のツアー経験談等いろいろと情報交換しておれば、すっかりツアー慣れせし私や東君も、久々にツアー出発直前の緊張感さえ感ずる始末。毎度の反省から、今回はツアーCDも日程的に余裕を持って納品されており、各自振り分け枚数を既に鞄に収納し終えし程の段取りぶり。
前夜は名古屋トクゾウにて、あふりらんぽとガイユニットと共にライヴを行っておれど、未だツアー準備が完了しておらぬ故、天変地異でも起こらぬかと心配させられる程に酒を飲み控えせし東君を筆頭に、打ち上げも早々に切り上げ、昨日より我家に投宿せし田畑君、せんせい、兄ィと共に、各自最終パッキングに勤しむ。未だ雑務にて忙殺されし私は、新譜のジャケット作成等にてほぼ徹夜状態なれば、ついでにせんせいの個人売りツアーCDRのダビングさえこなす。いよいよあと数時間で出発しようかと云う現段階ですら、未だツアー全日程のブッキング確認が取れておらぬとは、これもヨーロッパ・ツアー毎度の事なれど、特に今回は6月下旬から9月上旬に掛けてのヨーロッパのホリデーシーズンに重なる故、クラブの殆どが店を閉めている状態にして、ブッキングの難航ぶりは前代未聞、況してや元々ツアーを何故斯様な時期に組まねばならなかったかと云う要因たる大型フェスティバル2発が、最終的に飛んでしまうと云う顛末にして、せめてもう少し早くキャンセル通知を頂けておれば、斯様な苦労をせずとも、改めてツアー日程を組み直せたもので何とも本末転倒、いい加減極まりなきヨーロッパのロックフェスなんぞ、最早到底信用出来ぬ故、フェスティバルに合わせてツアーを組もうなんぞ、今後斯様な欲目は捨てるに限る。

1時間半の仮眠にて午前5時半起床。ここ2週間は殆ど平均2~3時間睡眠なれば、既にかなりの疲労ぶりなれど、これもここ数年は常に斯様な塩梅なれば、これもまた当然の事のようにさえ感ずる。起きるなり先ずはメールチェック、こなせる限りの雑務はこなして気持ち良く出発したいもの、されど結局未だにツアー日程の最終確認は出来ず終いなり。更に秋にリリースせんとするアルバム数枚の契約書がファックスにて届いておれども、昨夜送信トラブルから怒りのあまりファックスを叩き壊せし故、今や当然送信不可能にして、仕方なく郵送の段取りをつけれども、ホンマ、電気機器がここぞと云う時に言う事聞かぬなんぞ、何の為の電気機器か。人間の下僕でしかない筈の電気機器の謀反なんぞ、到底許されざるものにして、そのくせ調子悪かろうが平然と鎮座しているその態度、何とも癪に障る事この上なければ、極刑を以て万死に値するは当然至極、叩き壊されて然るべきなれど、結局修理若しくは新品購入の憂き目に遭うは所有者である私か。もしもロボットやらレプリカントやらが常識となる時代ともなれば、レプリカント・ハンターたるブレードランナーに是が非でも就職希望なり。

午前7時、結局朝飯を食らうゆとりさえないまま、タクシー2台に分乗し名鉄金山駅へ。名鉄金山駅より午前7時31分発の中部国際空港行き急行に乗り込み、初めて訪れる中部国際空港(通称セントレア)を目指す。実は特急列車も普通乗車券のみで乗車し得た事を後で知るも、何しろ名鉄に乗車せしは名古屋に20年間住みながら僅か2回にして、日本で一番運賃が高い私鉄である、当然の如く特急券なんぞ必要であろうと思い込んでおれど、指定席車両のみ特急券が必要とかで、何とも中途半端な紛らわしいシステムなり。
午前8時過ぎには脱線事故もなく無事空港に到着、空港ロビーにて東君と合流し、ヨーロッパ・ツアー第1関門であるチェックイン・カウンターへと向かう。ヨーロッパへのフライトは、通常預けられる荷物が20kg1個までである為、機材やら商品やら食糧やらで嵩張りし我らの鞄に、加えて楽器もまで携えておれば、果たして無事にチェックインし得るやら、嘗てバンドで追加料金11万円を請求され一悶着を起こせし経緯もあれば、これこそツアーに於ける最初の大いなる懸念なり。今回利用するは因縁深しAir Franceなれば大いに杞憂される処なれど、近頃良い噂を耳にせぬJALが提携しておれば、意外にも接客態度は至って親切極まりなく、荷物も無事に預けられしどころか、楽器の機内持ち込みに関しても、わざわざクルーに連絡して機内にて預かって頂ける事を確認せし程なれば、そもそもこちとら高い運賃を支払っているのであるから、これぐらいの対応は然るべきであろう。
無事にチェックインを済ませれば、発送せねばならぬマスター等を郵便局にて投函し、さて空港内のレストラン街にて皆で朝食とする。セントレア内のレストラン街は、愛知県内の有名店が軒を連ねており、お蔭で開港直後は、週末ともなれば数万人以上の物見遊山な空港観光客が押し寄せる騒ぎなんぞも勃発しておれども、流石に平日の午前中なれば未だ閑散としており、最後の和食はえび天3本が乗せられしえび天丼+ビールにして、大いに日本の揚げ物の技術の高さを堪能すれば、これで名残惜しくとも日本食とは暫しのお別れなり。
Londonに着いた処ですぐさまギャラが貰える訳でもなければ、昨夜のトクゾウにてのギャラより蓄えし経費を僅かばかりポンドに両替、ツアーの必須アイテム「週刊アサヒ芸能」も忘れず購入、そしていよいよ出国と相成る。免税店にてタバコを1カートン買い足し、これにて準備万端、午前10時10分発Air FranceのParis CDG行きにいざ乗り込まんと搭乗ゲートへ向かう。

予定通り搭乗を済ませれば、後は不味い機内食を食らい退屈な映画を観て寝るのみか。
Air Franceの各座席にはパーソナルテレビが装備されており、自分で観たい映画を選択し得る上、自分がその映画を選択せし際に、そのビデオが再生開始される仕組みとなっており、お蔭でどのプログラムを観ようかと迷っている間に、冒頭を見逃すと云う事もなく、何とも素晴らしいサービスである。されど観ている途中にて、チラリとでも他のチャンネルに切り替えれば、すぐさま元のチャンネルに戻した処で、再び冒頭から観直さねばならぬと云う短所もある。今回の12時間のフライトに於いて、ジャッキー・チェン主演「香港国際警察」、話題のホラー邦画「着信あり2」、そして大嫌いなオリバー・ストーン監督作品「アレキサンダー」を観賞、斯様な下衆娯楽映画は、退屈極まりなき機内で観るのが一番良かろう。映画に飽きれば、パーソナルテレビにてゲームも出来る故、オセロに挑戦。私は人生に於いてオセロでの敗戦未だ数回しかなければ、コンピュータとの対戦たるや大いに闘志湧く処。先ずは腕試しと中級レベルに挑戦すれば全戦圧勝、ならばいよいよ上級レベルに挑んでみれば、これまた全戦圧勝、コンピュータを完膚なきまでに叩きのめしてやれど、何とも物足らず、ではと他の所謂ビデオゲーム然とせしボーリングやらシューティングに挑めば、普段ゲームなんぞ全く興じぬ私は、操作やルールさえよく飲み込めず、結局訳の判らぬままゲームオーバーを連発、改めてビデオゲームの不毛さを再認識。

機内食は所謂「ビーフかチキンか」との選択肢にあらず、これはJALの心遣いか「和食か洋食か」にして、勿論ここは迷う事なくメンバー全員和食を選択。ホキの西京漬やら湯葉から蓮根のはさみ揚げまで並ぶ内容なれど、決して美味いものにあらず、されど慣れ親しみしUnited Airlineの驚異的に不味い機内食から比べれば月とスッポン、雲泥の差にして、何しろ完食し得る事のみでさえ充分評価に値する。到着前の軽食は、私がこの世で最も苦手とするペンネなれど、オーバーボイルどころかペンネがすっかり溶ける程にボイルされておれば、意外にもこの方が遥かにマシである事を発見、パスタは何でもアルデンテに茹でれば良いと云う訳ではなかったか。機内禁煙も今やすっかり慣れし故、兎に角喫煙を誘発しかねぬコーヒーとビールにさえ手を出さねば、たかが12時間程度の禁煙全く辛くもなく、人間何事も心の持ちようひとつと云った処か。
結局映画3本を観賞、オセロでのコンピュータ対決に興じ、毎日新聞とスポニチを読破、更にアサヒ芸能も読破すれば、大して眠らぬうちに午後3時過ぎParis CDG空港に到着。午後5時発London Heathrow行きへトランジットせんと搭乗ゲートへ向かえば、時間的余裕もあると云う事で、ならばバーにてビールでも呷らんと思い、私は常々各種通貨を幾らかばかりか携行している故、皆に10ユーロずつ渡し、皆で長旅の後のビールに舌鼓を打つ。
例によってフライトは30分遅れとなれど、まあこれもフランス人なれば仕方なしと、1杯のビールのお蔭か、それとも新たな面子による旅故か、妙に寛容な気分ともなり、1時間のフライトにて、午後5時半、無事にLondon Heathrow空港に到着。ワークパーミットのコピーも持参しておる故、入国審査も至ってスムーズに済ませれば、兄ィ曰く「こんなスムーズな入国初めてだよ。」

地下鉄にて我らがLondonの常宿Glynさん宅へ。Glynさんが一体何者たるかは、過去のツアー日記にて重々説明済みなれば、ここでは割愛させて頂くが、ザッパに激似の氏は、そのトレードマークとも云える髭を剃り落としており、幾分か若返りしかな。東君は早速バンドの経費にてビールの買い出し、Glynさん共々先ずは皆で乾杯。着いた早々早速荷物を解き、フライト仕様からいよいよツアー仕様にリアレンジを施せば、今更ながら相当量の食糧を持参せし事に気付く有様。

それもこれもツアー冒頭のイギリス・ラウンドこそが、純和食派の私にとっては地獄の日々となる事明白にして、世界最悪の激不味料理天国且つ物価高の此処イギリスでは、出来る限り自炊せんとの思い深ければこそなり。されど食糧のみで相当の重量と相成っておれば、勿論それは出発前より重々承知の上にして、故にその食糧の重量分に相当するエフェクターを削って来たのであるが、如何せんイギリス・ラウンド後はスイスへフライトなれば、更に此処Glynさん宅にて受け取りしツアーTシャツ100枚もあり、勿論それはイギリス・ラウンドにて殆ど売捌いてしまう心づもりなれども、何とか次のフライトまでに荷物の重量は軽減化しておきたいものと、早速レトルトカレーと真空パックの御飯にて夕食とする。

今回準備に時間がなかった東君は、結局そうめんやそばのみの持参となり、いきなりカレーライスを食す私に羨望の眼差しか。せんせいも同じくレトルトカレー、更に味噌汁を食しておられれど、食い終わるやソファにて爆睡、「ドラマーはよく寝る」黄金律は今回も健在なるや。
Gylnさんと一緒にRoxy MusicのDVDなんぞ観賞しているうちに、東君共々ビール片手にソファにて不覚にもうたた寝を決め込んでおり、今夜近所のパブにてライヴがあると話していたGlynさんは既に出掛けた様子にして、兄ィと田畑君はツアーCDの組み立て&袋詰めをしておられる。これは不覚と私も参戦、暫くして起きて来た東君も加わりツアーCD300枚とあふりらんぽ「A’」100枚の組み立て終了した処で、持参せし外袋の枚数が足らずこれ以上は組み立て出来ぬ事実が発覚、急遽メールにて名古屋の御留守居役安田氏に発送の依頼をする羽目に、いつもながら自分の詰めの甘さにはほとほと呆れる事頻り。午後10時半には田畑君と兄ィも就寝、Glynさんが帰宅するや、再びビール片手に歓談、何でもパブにて仕事の話が持ち上がったとかで、9月よりポーランドにて英語の教師を務めるそうな、そう云えば嘗ては教師だったと伺いし覚えあり。されど酒の席での話なんぞ到底信用出来ぬのが常なれど、当のGlynさんはいたく上機嫌にて、またポーランドへ赴いている間、この部屋を他人に貸すとかで収入倍増、長らく無職の氏なればその上機嫌ぶり無理もなかろうか。午前1時半、ここらで就寝せねば時差ぼけになるやもしれぬとの思いから、床にクッションを並べ無理矢理就寝。

6月2日(木)

午前4時半起床。先ずは再びレトルトカレーと真空パックの御飯にて朝食とす。私のライフラインと云われる七味は、今回特別に山椒を多めに自分でブレンドし、ビニル袋2つに分けて詰め計500gを持参、勿論カレーにもふりかけの如く添えるは云うまでもなし。500gあれば何とか1ヶ月は保つであろう。
午前6時、せんせいと兄ィも起床、せんせいは昨夜よりほぼ10時間爆睡していた事になるか。7時過ぎには東君も起き出しそばを食しておれば、続いて田畑君も起き出した様子。兄ィは早速シャワー&洗濯を済ませておられ、せんせいも続いてシャワーを浴びており、そう云えば田畑君も昨夜此処に到着するなりシャワーを浴びていた様子にして、今までのラインナップと異なり何とも綺麗好きなメンバーである事か、ならば私もそれに続かんとシャワーを浴び洗濯を済ませる。さて今宵のライヴに向け、物販商品の整理やらキャプション付け等して時間を潰せども、何とも暇なれば、午前9時には最早空腹となり、味噌煮込みうどんを食す。メンバー皆も各自の商品のキャプション付けなんぞしておられども、終えてしまえば矢張り何とも暇にして、されど金もなければレコード屋に行く訳にもいかず、皆ただ徒然なるままにタバコを吸い続けるのみ。津山さんから餞別に頂きし「お天気お姉さん」第1巻も既に読破済み。午前11時には再び空腹感に苛まされ、一体何故何もしておらぬのに腹だけは減るのか。否、何もする事がないからこそ腹が減るのか。暇になるや意味もなく冷蔵庫を開けては「何か食おかなあ」と、別段空腹でなけれども思うは、是れ誰にでも思い当たる節あろうや。兄ィは既にチキンラーメンを食したそうで、ならばと私も再び食糧袋を漁り始め、今度はレトルトハンバーグと真空パックの御飯に味噌汁で、ハンバーグ定食を頂く事にす。

されど何やら今ひとつ満たされるものもなく、ツアー初日にして既に虚しさを感じているとは、我ながら一体何たる事か。一人が食し始めるや連鎖反応を引き起こす事は間違いないようで、東君はマヨネーズ素麺、田畑君は流石京都出身だけあってか、薬味のわけぎが添えられしそばを食す。漸く正午ともなり、暇を持て余すのも時間が勿体ないと思えばこそ、ギターの弦を張り替えてみたりすれど、斯様な事では時間は早々に過ぎてはくれぬもの。唯一人せんせいのみ「あかん、なんぼでも寝れるわ」と、ひたすら爆睡しておられれば、そのあまりに有意義な時間の過ごし方、何とも羨ましい限りなり。

午後2時半、ツアードライバーのBenが迎えに来るや、待ってましたとばかりに大型バンに楽器や商品群を積み込み、Glynさん共々今宵の会場であるSpitzへ向け出発。会場へ到着するや、Benが調達してくれし機材群、Marshallギターアンプ2台、Ampegの巨大ベースアンプ、そして2台のドラムキットを搬入。サウンドチェックまで時間がある為、隣で開催されし骨董市の如きを覗きに行けば、夕方4時には終わるらしく、もう殆どの店が店終いし始めておれど、骨董品なのやらガラクタなのやら判らぬ珍品群が並べられており、大いに物欲掻立てられれども、所持金なければどうにもならず、唯々眺めるのみ。せんせいはサンドウィッチを購入すれども、イギリスの激不味サンドの洗礼を受け、思わず「不味ぅ~」当然の如くマヨネーズを添え何とか食されておれば「マヨネーズすぐになくなりそうやわ」如何にも、マヨネーズこそツアーに於ける救世主なり。

私のエフェクターの調子が悪いのか、矢鱈と音が途切れるトラブルこそあれども、結局原因解明には至らず、されど一応サウンドチェックを何とか恙無く終えれば、今回のツアーは田畑君の仕切りにてSHOPZONEを設営、さてさて売り上げは如何なるや。楽屋に並べられしケータリングはチップス(フライドポテト)とドリトスなれど、添えられしサルサソースは水で薄められし代物にて「味がない!」とは皆の感想。

前座のShit & Shineなるバンド、パーカッション群+ベース+サンプラー+ヴォーカルなる編成にして、苦痛極まりなきニューウェイヴ系バンドなれば、果たしてブリティッシュロックの魂、今は昔なるか。更にもうひとつの前座DJ’sとは、てっきり単なるDJの事だと思いきや、大編成のZ級糞サイケバンドであれば、成る程この名前ならDJイベントと勘違いした客が来るやもしれぬ、浮かばれぬ者共の苦肉の策か。
チケットは既にソールドアウトらしく、会場入口は開場を待つ長蛇の列さえ既に出来ている有様の中、我々は階下のレストランにて食事。ソーセージ&ポテトとは、まさしくその名の通り偽りなく、ソーセージ2本+マッシュポテトにトマトソースが添えられし代物なれど、矢張り味がなく、タバスコを打っ掛けて何とか食し得たか。

Alan Cummings氏も訪れ、ご丁寧に差し入れまでして頂き、せんせいのドラム教室の昔の生徒さんやら田畑君の知り合いやらも訪れれば、何とも世界は狭きかな。SHOPZONEをオープンするや、あっという間に人集りとなり売り上げも上々、田畑君は「燃えて来た」と商人根性全開で素晴らしい接客ぶりを発揮。私の持参せし限定5セットのAMTおもちゃ付きCDR(1個は名古屋にて売却済み)も、いきなり3個売れる盛況ぶりなり。

さて退屈な前座2つも漸く終われば、午後11時、大入り超満員の中いよいよAMT&TCI海外での初ライヴ。通称A組ことAMT&TMPU.F.O.の名を汚さぬように、否、それを凌ぐ演奏さえ展開したいとツアー前より思っておれば、メンバー全員の気合いも察して余りある処にして、全員2時間ぐらいは演奏したいと思っておれども、前座2バンドが大いに押したお蔭で、我々の演奏時間は1時間を残す程と相成るや、私が「今宵は2時間演奏するつもりでしたが、しょうもない前座が延々と演奏したお蔭で1時間しか演奏出来ません、あしからず」と演奏前にアナウンスすれば、会場からは大いなるブーイング。前半矢張りエフェクターの調子が悪いのか、ギターの音が時折途絶えるトラブルを抱え、私は大いに苛々しておれども、何とあまりの爆音故に振動でアンプからケーブル・ジャックが次第に抜けて来ている事が判明、ジャックを再度しっかり固定するや、このトラブルは見事解消。終演後、私のトラブルを心配せしBenが、全ての事情を知るや「そんな話聞いた事ないが、あれだけの大爆音なら充分あり得る」と笑っていたのが印象的か。結局大爆音大暴れにて、特に後半の「Pink Lady Lemonade ~ OM Riff」と怒濤の展開となる辺りでは、客も狂乱状態にして、ラストはギター絞首刑にて予定通り12時に終演。鳴り止まぬアンコールに、クラブのオーナーが「10分ぐらいでもう1曲演奏してくれ」と懇願して来れば、「Na Na Hey Hey」にて客も一緒に合唱し大団円。

終演後、機材を積み込みGlynさん宅へ。London在住のBenは、明日午後1時半にピックアップに来ると自宅へ。ソーセージ&ポテトでは到底保たぬ故、素麺を茹で粉末うどん出汁と七味にマヨネーズを加え、即席出汁マヨ素麺を作り食せばなかなか美味なり。

Glynさんのルームメイトのカザフスタン人女性Miraがサンドウィッチを持て成してくれ、あまりの空腹なれば皆で貪る。

さて先日あふりらんぽより頂きし黄色のトレーナーに着替えれば、普段黒しか纏わぬ故か、Glynさんとメンバー全員には大不評なれど、彼女のみ「黄色が似合っているからもっと色柄ものを着るべきよ」と真面目顔にて語れども、我ながら似合っておらぬ事は重々承知の助。ビール片手に歓談後、午前4時就寝。

(2005/8/23)

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