6月19日(日)
午前7時起床、シャワー&洗濯を済ませる。午前7時45分、ホテルの外にて迎えに来る筈のAlexandroを待てども現れず、ただ彼のバンのみ駐車されておれば、きっとこの界隈に投宿している筈なれどそれが何処かなんぞ知る術もなく、さてこれはどうしたものか。じっと待つ事30分、午前8時15分になれども未だ誰も現れず。ここからUdine駅までは車で1時間程の距離なれば、自力にて行く事到底叶わぬ上、我々が乗らんとする列車は午前8時44分発なれば時既に遅し。昨日ネットにて時刻表を調べし処、UdineからZagrebへ行く列車は1日1便の様子、即ち本日の移動は事実上既に不可能と云う事か。幸いライヴは明晩、今日は移動日に当ててありし故、「まあほなら明日Zagrebに移動して、そのままライヴやればええか」能天気な楽観主義者の我々一同、これにて本日のZagreb行きを明日に順延、駐車場に停められし彼のバンの窓に、せんせいが黒テープにて「Too Late」とメッセージを残す。早起きせし故、皆ホテルの部屋に戻りて再び爆睡す。
午前11時、気持ちよく寝ている処をAlexandroに起こされる。
「ごめん、寝坊して慌てて来てみれば『Too Late』のメッセージがあったので、てっきり駅に行ったのかと思ってまた帰って寝てたんだ。」
「こんなとこからどないやって自力であの遠い駅まで行けるねんな!」
「だから僕もふと『もしかして』と思って、またホテルに戻ってフロントで尋ねてみれば、未だチェックアウトしてないって聞いて、それで今こうしてここにいるわけ。」
「で、お前何時に迎えに来てん?」
「8時30分!」
「アホか、それやったらどっちみち列車には間に合わへんかったやんけ!」
「で、今夜のショウはどうするの?」
「元々今日は移動日の予定でショウは明晩やから、しゃあないがな、今日はここで1日オフや。」
「じゃあショウは大丈夫なんだね、それを聞いてホッとしたよ。ところでブレックファーストは?」
「まだや。」
「下のレストランでブレックファースト食べる?確か11時半までの筈だから急がないと。」
「食わいでか!」
爆睡せしせんせいも起こし、隣室の田畑君と兄ィ、そしてひとり個室に投宿せし東君を起こしに行けど応答なし、爆睡中か外出中か、ならばと彼等の事は捨て置き、せんせい共々階下のレストランへ。ブレックファーストは質素にパン+コーヒー、何やらコーヒーの苦さが空しさを助長する。
昨夜の会場に隣接するアート&コミュニティー・センターにて、Zagreb行きを明日に順延の旨、オルガナイザーMateにメール、さてこれにて本日の業務は終了、予定外のオフ、一体如何にして過ごすか。
ホテルに戻って来るや、1階のレストランにてブレックファーストの時間帯は既に終了せし故、田畑君と志村さんがスパゲッティーを注文しておれど、斯様な事お構いなしにてAlexandroは「今から皆でランチに行こう」と提案。兄ィ曰く「なんだ、今から昼飯なの?…失敗したなあ、アハハハ…スパゲッティーもう頼んじゃったよ」2人が山盛りのスパゲッティーを平らげておられる最中、隣の席に座する夫婦に豪勢な特大ステーキが運ばれて来るや、兄ィは「なんだ、あんなデカいステーキがあったのかぁ…あのステーキにすればよかったよ…」兄ィ、わしら今から昼飯食いに行きますねんで!
今宵もこのホテルに連泊するならば、その宿泊費は自腹になると聞き、何処か無料にて投宿し得る場所はないかとAlexandroに尋ねるや、何処ぞの1室を無償提供して頂ける運びとなり、ホテルをチェックアウト。荷物全てをバンに積み込めば、スパゲッティーを食べ終えたばかりの田畑君と兄ィも含め、昨夜のスタッフ達と共にレストランまでドライブ。
「一体何処まで飯食いに行くねん?」
「もしかしてUdine駅前のレストランとかで、きっと今夜はUdine駅の近くに泊めてもらえるんちゃう?」
「ほなら明朝は自力で駅まで行けって事かなあ?」
「まあそれでもええけどな、合言葉はD.T.A.(Don’t Trust Anybody)やからな!」
様々な憶測が飛び交う中、それでもAlexandroの運転するバンは、何処へ向かっておるのか果てしなく走り続ける
「これって昨日のUdine駅から来た道とちゃうなあ。」
「やっぱし俺ら拉致されるんちゃう?」
そう云えば、昨日Alexandroの車にてUdine駅からTarcentに向かう車中に於いても、そのあまりの長距離ドライブ故、同様の話をせり。
「これって俺ら拉致されるんちゃう?」
「なんで?」
「だってこの運転手が本物のAlexandroって誰が知ってんねん?誰も会うた事ないねんから、実は彼の顔って誰も知らんやろ?」
「…」
「こいつがもし偽者のAlexandroやってみいな、俺らを誘拐するなんてめっちゃ屁ェやで!」
「…」
「今頃ホンマもんのAlexandroが駅でまだ待ってるかもしれへんで。」
「でも俺らを拉致してどないすんの?」
「日本から来てるぐらいやから、きっと有名な奴らちゃうかって誤解してるとか!」
「そんなん絶対誰も相手にせえへんやん…」
「あかん、ほんなら誰も助けてくれへん!」
「そう云うこっちゃなあ…」
「新聞とかに『日本のロックバンド、イタリアのテロ組織に拉致!』とかって載るんかな?」
「ほんで読んだ奴らに『アホやなこいつら』って俺ら馬鹿にされる…。」
「ワイドショーとかが近所のオバハンとか高校時代の同級生とかにインタビューして『何か薄気味悪い人でしたからねえ』とか『あ~っ、昔からちょっとヤバい感じでしたよ』とかって好き勝手な事ほざかれて、何か知らんけど家族のもんが肩身の狭い思いさせられるとか!」
「せやから俺普段から近所の人とかに挨拶してんねん!」
「でも『あ~っ、いつも道で会ったら挨拶する良い感じの人でしたよ』って云われると思う?やっぱし『何か怪しい感じの人だと思ってました』とか云われんのが関の山やで、俺らって!」
「人間のクズ、社会のゴミやからなあ…」
話は誘拐拉致からこのまま全く別方向へと発展、まあよくあるヨタ話なり。
車内にて、女性スタッフが「meat! meat! meat!」と嬉しそうにしておれば、まあ今からレストランに赴き肉料理を食らわんとしている事は疑いの余地なし。しかし車はどんどん山奥に向かって走っておれば、ホンマにこんなとこにレストランなんてあるんかいな?まさかバーベキューとちゃうやろな?嘗てScotlandにて、Pastelsのメンバー達とバーベキューせし折、所謂日本のそれとは全く異なり、単にジャガイモやらトウモロコシを焼くのみにして、あとはフリーコンサートなんぞとアコギや太鼓等にてセッションを強要されし経緯もあれば、今や「山奥でのバーベキュー」が一種のトラウマにさえなっている始末。されど車内を見渡す限り、バーベキューセット等見当たらねば、多分その線の可能性は薄そうなり。
さて30分も走ったか、山の中の小さなレストランに到着、拉致でもバーベキューでもなければ大いに安堵。レストランの建物に隣接する東屋に通され、さていざランチなり。
出されしメニューとは、アペタイザーのスパゲッティーに始まり、サラダ+ポレンタ+チーズ揚げ+チャーシューの如き牛肉と続き、デザートのパイにて〆。
ポレンタと云えば、去る2月の大寒波の中を強行せしソロツアーにて出会いし北イタリア特産のウルトラ激不味料理(第118回「不味いんぼ in Europe」参照)、その折にも見事轟沈せし私をはじめ関西出身の田畑君と岡野君は秒殺され、先日あの激不味料理insalata di risoを軽々お替わりせし兄ィさえも敢え無く轟沈、されど東君は全く平気にして、我々の皿に残るポレンタさえ軽く平らげては「俺はこれ全然OK!」と見事完食。東君は幼少の頃よりオートミール等食せし故か、全くこの手の代物は苦にならぬとか。
それにしても先程ホテルのレストランにて豪勢な特大ステーキが運ばれし場面に遭遇しておれば、このチャーシューの如きお粗末な肉ではあまりに寂しい事この上なし。肉ってこれかいな…もっと豪勢な特大ステーキが食いたい!イタリアと云えばgrappaと云う訳で、デザート後はコーヒーや紅茶にgrappaを入れて呷れば微酔い気分なり。せんせいの昨日購入せし扇子は、猛烈に扇ぎ過ぎか、それとも所詮1ユーロ故か、ここで見事に折れてしまい僅か1日の命なり。のんびりした日曜日の昼食、終了せしは午後4時半なり。
再び昨日の会場に戻り、ビールを呷りつつ各自散策若しくは川原にて昼寝。今日はF-1アメリカGPなれば、何処かでテレビ観戦せんとテレビを探せども、バーやレストランでさえテレビを置いておらず、本場イタリアにてのF-1観戦の夢は露と消ゆる。
今宵はフェスティバル最終日なれど日曜日なれば、昨夜程の人混みにあらず。昨夜我々が演奏せしステージにて、今宵はトラッド・バンドの演奏があるとかでサウンドチェック中。それにしてもええとこやなあ。
Alexandroが「晩飯食べたかったらHybridaで食べられるからね!」と云ってくれるが、訪ねてみれば昨夜食い損ぜし因縁深きキーマカレーの様子。されど今日は特大ステーキをホテルのレストランにて拝んだ上、昼飯の肉料理があまりにお粗末なれば、皆で「あのホテルのレストランでステーキ食おう!」と、徒歩数分にてホテルのレストランへと向かえど、日曜夜は定休とかで「この糞カトリック野郎!飢える民を幸せにも出来ひん神って何やねん!」カトリックに於ける安息日の教えなんぞ、我々キャピタリストにとっては、怠け者の詭弁、愚の骨頂なり。
せんせいと兄ィと共に3人で川沿いを歩けば、漸く1軒の営業中のレストランを発見、他に選択肢もなければここに入る事とする。観光客で賑わう店内、メニューを渡されれども勿論イタリア語のみにして、給仕もイタリア語しか話せぬ様子なれば、私のお粗末なイタリア語力と、南米にて培いし兄ィのスペイン語力を結集、スペイン語とイタリア語は、同じラテン語から派生せし言語にして類似点も多ければ、2人してメニュー解読に勤しむ。「これはビーフとトマトと…」「これは…魚料理だねえ…」「これは…何やろ?」目指すは特大ステーキなれば、背理法さえも導入して何とか「これかこれちゃう?」二択まで絞り込む。給仕に身振り手振りで牛の真似やらしてみせては、最低それらが牛肉料理である事も確認すれば、せんせいが「あっ、絶対これや!確かそうやで!」と片方を選択、ここは運を天に任せ、我々も最後はせんせいの一言に全てを賭け、では赤ワイン1本とビーフのカルパッチョ、そしてステーキと思しき一品(サラダ付き)をオーダー、給仕曰く「Oh! Steak! Si si si! This is a steak!」しかし合言葉はD.T.A.(Don’t Trust Anybody)ならば迂闊に信用出来ぬ。さて結果は如何に。
先ず赤ワインとカルパッチョとサラダが運ばれてくれば、乾杯してカルパッチョを試す。チーズが苦手故、上に乗せられしチーズを退けて頂けど、ふむむ…絶対牛刺しやカルビの方が遥かに美味いな。生姜醤油でも欲しい処か。
そんな折、東君と田畑君もやって来れば、兄ィが提案「どれがステーキか、東君達に教えないでおこうよ。その方が面白いよ。」見掛けによらずワルですなあ。
「何頼んだ?」
「多分ステーキと思う…」
「多分って…?」
「ウエイターのおっさん、英語判りよれへんねん。」
「で、どれ頼んだ?」
「いや、しゃあけど絶対ステーキって自信ないし、まあええやん!そっちも自分らで選んでや。」
メニュー片手にいろいろ思案する2人を見て、再び兄ィがボソッと一言「早くオーダーしてくれないと、こっちのステーキが来ちゃうよ。バレちゃうよ。」兄ィ、あんたホンマにワルですなあ。東君と田畑君も給仕を捉まえ、あれこれ身振り手振りも交え尋ねておれば、東君の指差す先こそ先程我々が頼みし一品なり。ここで再び兄ィの独り言「ダメだよ、それじゃあ面白くないよ。」一方の田畑君は、その小心ぶりからか、大博打に打って出ず、安全牌としてタルタルステーキをオーダーしておられる。彼等がオーダーを済ませるや、こちらのテーブルに3皿の立派なステーキが運ばれて来る、何とも素晴らしいタイミングかな。
「ああ~っ、そっちは大当たり!」
「フフフフ…」
「えっ、それってどれ?」
東君がメニュー片手に、我々がどの一品をオーダーせしか尋ねに来れば、
「心配しなや、自分も俺らと同じのんオーダーしてたから。」
「えっ、ホンマ!じゃあ俺もステーキだね!」
「残念ながら…。(笑)兄ィは、東君が違うのんオーダーすんの楽しみにしてはってんけどなあ。」
「酷いですよ、兄ィ!」
「ハハハハハ、ごめんごめん、でも東君は『引き』が強いねえ、流石だよ。」
そのステーキ、「血の滴るウルトラレア」と、何とか給仕に理解させオーダーせし故、焼具合も上々にて、いと美味なり。我々3名は、待望のステーキに大いに舌鼓を打つ。
さて田畑君のタルタルステーキと東君のステーキが運ばれてくれば、東君の悲鳴が。
「なし?(四国中村弁で『何故?』の意)これステーキと違う!」
「えっ?ホンマや!」
「あれ?なんで?」
「あ~、それって俺らの最終選考に残ってたもう片方のんちゃう?」
「ショック…。」
「フフフフ…東君はずしちゃったね…。」
「えっ、じゃあステーキはどれだったん?」
「って事はこっちか…。」
「くぅ~っ、最後までどっちにしようか迷ってたんだけどなあ…トホホ。」
そこから暫く解説好きの東君による、「何故私はこっちを選んだか」公演が急遽開催さる。されど彼のオーダーせし所謂ローストビーフも美味かったそうで、結果的には彼も御満悦にして、終わりよければ全て良し。
ステーキにてすっかり上機嫌の我々、レストランを後にしてフェスティバル最終日で賑わう川縁を腹ごなしの散策。川に浮かべられし蝋燭の燭台は、地元の女の子達のお手製にして、夕方になれば彼女達自らの手で順番に点灯されしもの。
トラッド・バンドの演奏が始まれば、老若男女問わず踊り出したり一緒に歌い出したり、所謂正しいトラッドの愉しみ方なり。ダンス好きの東君は、一緒になりて最前列にて踊り狂っておられる。
今夜はライヴ会場に隣接するアート&コミュニティー・センターの2階の展示室の1室に投宿と判明、ステージ前にて踊り狂う東君を尻目に、バンから荷物を降ろし運び込む。されど寝具が一切なければ、展示室に転がる防音材を敷き詰めマットレスの代用とする。窓よりステージが臨めれば、Barで頂きしpastis片手にライヴ観賞。ライヴは大いに盛り上がっておれば、その終演後にメンバーがステージ上でCD販売しておれど、誰も全く気に留めず、これも所謂本場に於ける正しいトラッドの楽しみ方なるか。兄ィと田畑君とせんせいは、バーテンのネエちゃんに頂きし超強烈なgrappaやらこの地方の珍妙な酒やらに「これはきっついなあ!」と悶絶即死寸前。
Alexandroに「明日は絶対に寝坊すんな!」と伝えれば、「大丈夫、今夜は君達と一緒の場所で寝るから」と全く今朝の反省もなし。HybridaにてはDJが爆音でプレイしており大層な賑わい、Alexandroもここで働いているのか飲んでいるだけなのか判然とせぬ程、何ともいい調子なり。その様子を見れば見る程に不安も募る。昨日のチェリーがお気に入りのせんせいは、今朝Alexandroに「チェリー狩りに行こう」と持ち掛け「OK!」と云われておれど、結局最後は「川沿いにずっと行けば、森があってそこに鈴生りになってるから、自分で行って来て!」と御座也にされし経緯もあれば、ホンマにあいつ大丈夫なんか?矢張り彼を信用しておらぬ田畑君は「俺がずっと張り付いとくわ!」と、彼と今宵行動を共にすると云うが、既に超強烈なgrappa等にていい調子の田畑君こそ大丈夫なんやろか?不安を胸にしつつも、午前1時半早々に就寝。
6月20日(月)「遠過ぎたZagreb」の巻
午前6時半起床、いと寒し。イタリアに於いてはずっと酷暑炎天下であれば、思わず長袖のパーカーを久々に取り出す。午前7時半、隣で爆睡するAlexandroを起こし、バンに荷物を積みいよいよ出発、Alexandroが「長い旅には」と、パンやらチーズやらジュースやら水やらを持たせてくれる。ええ奴やなあ。
午前8時20分、Udine駅に到着、Alexandroはホームにて列車を待つ我々に、駅構内のBarよりコーヒー5杯をお盆まで拝借して振る舞ってくれる。やっぱしええ奴やなあ。
キュッとそのコーヒーを呷っておれば、午前8時44分発Trieste行きの列車が到着、さていざ乗り込まん。Alexandroが車内まで荷物を一緒になり運び込んでくれ、一人一人と抱擁なんぞにて別れの惜しんでおれば、無情にも列車は彼を乗せたまま発車、Alexandro曰く「2分で返すからって、Barのウエイトレスからお盆借りてきたのに!」切符を持っておらぬ彼なれば、検察が来ればペナルティーを払わねばならぬ故「検札来ないでくれ!」と祈っておれども、斯様な窮状に限り早々と車掌登場、私の切符を拝見せし後、丁度Alexandroに向かおうとした刹那「Zagrebへ行く列車の乗り換えは何処の駅ですればいいのか?」と尋ねれば「Trieste」と答え、Alexandroへの検察を忘れそのまま次の座席へと検札に向かう、作戦大成功。勿論彼は次の駅で下車し、その後きっとホームに置きっ放しとなりしお盆をBarに返しに行った事であろう。
では朝飯を食わんと、彼がくれしデカいランチボックスを開いてみれば、ピクニックにでも行こうかと云わんばかり、パンにチーズに野菜各種に茹で玉子、そして一昨日食べ損ねしキーマカレーの詰められしパニーノまで、有り難うAlexandro!
この炎天下では傷み易いからと、先ずはそのキーマカレーのパニーノを頬張れば至って美味なり。あのシェフなかなかやりよんな。
青唐辛子が添えられておれば、人生に於いて「辛い」と感ぜし事僅か数回たる激辛中毒の私が、先ずは実験台となりザクッと齧ってみせるや「あれ?これ辛ないわ、ただのピーマンやな」この言葉を鵜呑みにする程皆阿呆にあらず、せんせいが先っぽを恐る恐る舐めてみれば「死ぬぅうううううう!辛いでこれ!」
この時点に於いて、この1日があれ程に過酷な長い1日になるとは、一体誰が予想し得たであろうか。過酷なる試練が我々を待ち受けているとも露知らず、何とも能天気な我々一同であった。
さて我々はクロアチアのZagrebへ向かう訳であるが、私がネットにて調べた結果は、午前9時半にMonfalcにてZagreb行きに乗り換え、午後3時45分にはZagrebに到着なれば、先程の車掌が云う処の「Triesteにて乗り換え」とは是如何に。されど以前津山さんがJapanese New Music Festival tourに於いて、列車にてイタリアよりZagrebへ向かいし際、TriesteからZagreb行き列車に乗ったと云う話を記憶しており、MonfalcとはTriesteの一つ手前の駅なる上、いざ到着してみれば何とも小さな駅にして、TriesteとはきっとZagreb行き列車の始発駅であろうと推察、この際車掌も云っていた事であるしTriesteまで向かう事とす。
Trieste駅に到着するや、他のホームに停車している車両は皆無、何やら嫌な予感を抱きつつもホームに設置されし時刻表をチェックすれば、何処にもZagrebの文字はなし。「ええぇ~っ!なんでやねん?」発車予定の電光掲示板を眺めし処でVenezia行きしかなければ、「ほならやっぱりさっきのMonfalcで乗り換えなあかんかったんや!9時半Monfalc発やったら、今から次の列車で戻ってももう間に合わへんやん!あの車掌に騙されたわ…クソTrenitaliaめ!」不覚にも忘れしか、ツアーに於いては「D.T.A. (Don’t Trust Anybody」このスローガンを常に肝に銘じておかねばならぬ、迂闊に車掌なんぞを信じた己れの愚かさを呪いつつも、ならば如何にして今晩までにZagrebへ辿り着くかである。ネットでチェックせし際は、この午後3時45分Zagreb着の1本のみしか発見出来ねば、果たして他にここTriesteからZagrebへ、今宵の開演時間までに辿り着ける方法はあるのか。
駅のInformationにて尋ねてみれば、今夜中にZagrebへ到着するには、どうやら2通りの方法があれども、到着時間が早い方たる午後8時半Zagreb到着の列車とは「Bad train…」と薦められぬ様子、されど遅い方を採れば、Zagreb到着は午後10時半となる故、今宵のライヴに果たして間に合うのかどうか。何はともあれ午後3時45分に到着すると思いしオルガナイザーMateに連絡せんと、兄ィのvodafonからメール送信すれば見事成功、ここまで北イタリア以外は殆どの場所で使用不可能でありしこのVodafon、ここに来て漸くその真価を発揮するか。更に公衆電話から吉田達也氏に国際電話を掛け、Mateの電話番号を尋ねてみれど残念ながら存じておらねば、もしも電話番号が解れば兄ィのvodafonにメール送信して頂くよう依頼。本日このVodafonが我々のライフラインとなるは確実と、兄ィはすかさずトイレの髭剃り用コンセントにて充電、流石は兄ィ。斯様な緊迫せし局面にありながら、東君は能天気にもイタリア人の綺麗なネエちゃんと談笑する享楽ぶり。「ダメだよ東君、そんな風じゃあ、緊張感なさ過ぎだよ。」とは、今や兄ィ弁をすっかり会得せしせんせいからのキツいお叱り。
我々の選択は、当然午後8時半Zagreb到着予定の「Bad train」の道なり。それにしても「Bad train」ってどう云う意味やねん。先ずは今し方通過せしGoriziaへと戻り、そこからバスにてNova Goricaなる駅まで向かい、そして列車にて乗り換え数回を経由しZagrebへ到着と云うシナリオなれば、取り敢えず第1ステップたるGoriziaへ向かわんと、午前11時33分発Venezia行きICに乗り込む。発車前にホームにてタバコを吸っておれば、偶然にもJennifer Gentleの新ベーシスト(名前失念!)に声を掛けられる、嗚呼、何とも世界は狭し。なればZagrebなんぞも恙無く到着し得るか。たとえ僅かであれ根拠なき期待感は常に失望を生む事を承知しておれば、当然の如く合言葉は「No Hope!」我思うは「物事なるようにしかならん」故に、何も期待せず唯ひたすらに全力を尽くすのみ。
ほぼ定刻通り午後12時半前、Gorizia駅に到着、先ず第1ステップは無事クリア。さて今度はNova Goricaなる駅(所謂「New Gorizia駅」か?)へ向かわんとバスを探せば、イタリアにて見掛ける路線バスとは異なる、白いボディのまるで観光バスの如き綺麗なバスが、そのNova Gorizia駅行きであると判明、万全を期して運転手にも確認、1人1ユーロを支払い無事乗車。ここまでは何とも順風漫歩、自分の中で少々気になりしはイタリアからスロベニアへの国境越えのみにして、されどそれはきっと次の列車に乗車せし後の事であろうと高を括っておるや、いきなり眼前に国境が現れたではないか。バスにイタリアの国境警備員が乗り込んで来れば、パスポートさえろくに見ぬうちから我々5人に下車を命じる故、「Per Che?(なんでやねん?)」どうやらこのバスは、この先の街に住むスロベニア人専用のものにして、ここはLocal ImmigrationなればInternational Immigrationは、ここから約1km程離れしCasa Rossoなる場所らしく、無情にもバスは我々を残し国境を越えて行く。当然国境警備員がそのCasa Rossoなる場所まで御親切に送り届けてくれる筈もなければ、徒歩にて超重量級の荷物を抱えつつも、そのCasa Rossoとやらを目指すしかあるまい。すっかり昼なれば暑い事この上なく、何と気温35度と云う炎天下の中、荷物を携えて滝の汗を流しながらも、Nova Goricaより発車する列車に乗り遅れてはならぬと、決して道を誤らぬように幾度も道を尋ねつつ、全力疾走ならぬ全力疾歩にて唯ひたすらにCasa Rossoとやらを目指す。かなりのスピードで歩く事約30分、漸くImmigrationが見えて来れども、これもまたLocal ImmigrationなればCasa Rossaにあらず、ぬか喜び程気力を喪失させるものはなし。
先の国境警備員曰く「徒歩1km(案の定実際には1.5km程であったか)」を走破ならぬ歩破し、漸く前方にCasa Rossaの国境を発見、バスやら乗用車がスイスイと国境を越える中、我々5名の日本人は、滝の汗を流しつつ超重量級の荷物を抱え、今まさに徒歩にて国境を突破せんとす。横をすり抜ける車中より怪訝な視線を送られつつ、先ずはイタリア側Immigrationにて5分ばかり足止めを食らえども、更に先のスロベニア側Immigrationに於いては殆どフリーパス、これにて漸くスロベニアに到着。スロベニアがEUに参加する以前は、この国境越えも随分と厳しいものでありしを想起すれば、EUとは何とも有り難い限りかな。この後は、このスロベニアを越え、一路クロアチアの首都Zagrebを目指すのみ。
さてこのCasa RossaよりNova Gorica駅までバスで行けるとイタリアの国境警備員に伺っておれば、「何処やバス停!」先程イタリアのImmigrationにて足止めを食らいし折、横を通り抜けしバスがその先を右折せしを確認済み故なれど、スロベニアの国境警備員曰く「国境越えて左側」どっちやねん!ウロウロとバス停を探しまわりし挙げ句、矢張り国境より右折せし先にて、漸く小さなバス停を発見。更にNova Goricaまで僅か3kmとの道路標識も発見、バス停より伺えるラウンドアバウトにもNova Goricaへの矢印が出ておれば、いよいよ後はバスを待つのみ。Nova Goriza駅を午後2時8分に発車する列車に乗らねば午後8時半にZagrebに着けねども、未だ残す処1時間もあれば、僅か3kmこれはもう余裕か。安堵すれば急に腹も減り、皆でAlexandroに頂きしランチボックスから各々パンやら何やらを貪る。再びキーマカレーが詰められしパニーノを食らわば美味なり、更に青唐辛子やら生葱やら生玉子やらにマヨネーズを打っ掛け頬張れば、漸く空腹も収まり、ランチボックスもこれにて空となる。
さて後は炎天下の中ひたすらバスを待つのみ。一昨日購入せし私の扇子もここで遂に折れれば、この暑さが余計に身に沁みる。
ふと田畑君が「こっち側のレーンってN.Gorica 3kmって書いてる方と逆方向ちゃう?」云われてみれば確かに反対向きのレーンに設置されしバス停にて待機している自分達の姿に気付き、慌てて反対側のバス停へと移動すれば、丁度ついぞ今し方まで待っておりし側のバス停にバスが到着、なれど逆方向故に我々には関係なしと気にも留めず。兄ィのvodafonにて、オルガナイザーのMateより彼の電話番号を記せしメールが受信しておれば、ここまでのツアー日程にてその無能ぶりを存分に発揮せしVodafon、ここスロベニアに於いてその汚名挽回なるか、無事にMateとの通話成功、午後8時半到着なれば予定通り今宵ライヴを行うが、午後10時半到着となれば2日後の水曜日に順延するとの事、と云う事は今宵ライヴを行う為には、是が非でもNova Gorica午後2時8分発の列車に乗らねばならぬ。バスが来ぬならタクシー2台に分乗してとも思えども、嗚呼、ここはスロベニアなれば、EUに参加せしとは云えど未だ通貨はユーロにあらずSitなり、勿論Sitなんぞと云う通貨を持ち合わせておらぬ上、見渡す限り両替所も見当たらず。ならばヒッチハイクででもと思えども、斯様に怪しき風貌の日本人男性5人に加えてこの大荷物である、乗せてくれる親切な車なんぞある訳もなし。
かれこれ待つ事1時間、既に時刻は午後2時を回り、当初の予定の午後2時8分発の列車に乗れぬ事もほぼ確実と相成る。
「あかん、これでライヴは明後日に順延やね」
「Mate何て思ってるかな?」
「大体昨日を保険で移動予定日にしてたのになあ…。」
「昨日はいきなり『Too Late』やったからねえ。」
「でも昨日、今日のこのルートででも移動してたら…。」
「しゃあけどネットで調べた時は、こんなん出てなかったからなあ。」
「あのバスの運転手も、あそこで俺らが国境越え無理って判ってたくせにな。」
「俺らがスロベニア人に見えたんやろか?」
「んなアホな!」
「イタリア人もスロベニア人も信用出来ひん!」
「しゃあから云うてるやん『Don’t Trust Anybody』やって!」
「でも元々はあの車掌やな!あいつさえ『Trieste』って云うてなかったら…。」
「あっこで聞いたんが失敗やったなあ。いつも尋ねる事ないのになあ。」
「車掌、実は英語ようわからんかったんちゃう?ほんで適当に終点のTriesteって云うたんちゃう?」
「有り得る話やね。」
「ホンマ、クソTrenitaria!列車も遅れるし、車掌は出鱈目やし!」
「イタリア人やし、仕事の責任感なんてないやろからね。」
「その点、日本人は偉いなあ。」
「まあ2分の遅れを取り戻す為にあの大惨事(尼崎JR脱線事故)を引き起こすぐらいやからね。」
「でもライヴは水曜日に順延って事やし、キャンセルにならんで良かったねえ。」
「AMTはキャンセルって今まででも殆どあれへんからね。アクシデントあっても、いつも何とかライヴには間に合うねん。ストームで飛行機飛ばへんかった時も最後は間に合ったしね。」
「そういやこないだのViennaも間に合ったしね。」
「オルガナイザーが車の手配出来ひんかって、今夜はキャンセルしてもいいよって云うた時も、10時間バス乗り継いで行って、夜中の12時に着いてライヴやったしなあ。」
「車壊れた時も、フェリーに騙して乗せて、フェリー降りる時に『今壊れた!』って演技して事なきを得た事あったね。」
「それって凄い事だよ。東京のバンドだったらすぐ諦めて、それで暗い雰囲気になってるよ。根性ないからね。」
「客が待ってる限り、行かなあかんって使命感あるからね、絶対諦めへん!」
「客がいてのAMTだからね。」
「凄いよそれ。東京のバンドだったら今日なんかもう絶対Triesteで諦めて、さっさと次の場所に行っちゃってるよ。」
「でも今日来てくれる客には申し訳ないよな。水曜日に来れない人もいるだろうからね。」
「せやなあ、ホンマ申し訳ないなあ。」
「その分、死ぬ気で演奏するしかないね。」
漸くバスが来ればすかさず運転手に質問「このバスはNova Goricaに行きますか?」
「No、Nova Goricaなら反対側のバス停ですよ」何ィ~っ!ほんならさっき来てたバスやったんやんけ!嗚呼、これは大失敗…。再び炎天下の中、反対車線側のバス停へ移動、程なくNova Gorica行きバスが到着。成る程、Goriziaで乗りし白いボディのまるで観光バスの如き綺麗なバスはスロベニアのバスであったか。「このバスはNova Goricaに行きますか?」「Yes!」されどバスは何故か先程見たNova Goricaへの道路標識と反対方向へ発進、再び一抹の不安が。
「まさかまたさっき下車させられたLocal Immigrationへ連れて行かれるんちゃうやろな?」
「あかん、ホンマもう誰も信用出来ひんな!」
「ほんでまた歩かされたりして…。」
「勘弁してくれぇ!」
「永久にこの辺りを行ったり来たり…。」
「Sit持ってへんから飯も食われへんやん。」
「Sitって、津山さんが『ウンコが金か、この国は!』って驚いてたな。」
「でもウンコは『shit』で綴りちゃうんやけどな、実は…。」
「『ウンコがギャラやったらどないしょ!』って騒いでたねえ。」
「ホンマにウンコで払えるんやったら、なんぼでも払たるのになあ。」
「金に困った時も大丈夫やね、ブリブリっと行けば…。」
不安だと云いつつも、矢張り能天気な我々一同、全くお気楽極楽な連中である。
2つ目のバス停にて運転手から「ここだ」と教えられ下車、さて鉄道の駅は何処なのやら、見渡す限り団地の如き景色のみにして駅舎らしきは全く見当たらず、近くの店にて駅への道を尋ねてみれば
「この道をまっすぐ1km行った所ですよ。」
「ええ~っ、また1kmも歩くんかいな!」
「いや、500mぐらいかな。(笑)」
「慰め無用!」
再び徒歩にて1kmと告げられし道程を進めば、途中不気味な彫刻が道沿いに建てられておるのを発見、折角なので撮影しておく。この頭がぎょうさん生えている代物、まるで永井豪の漫画にでも出て来そうな雰囲気にして、これが所謂スロベニアン・アートならば、なんちゅう趣味の悪さや。こんなもんを毎日眺めながら大きくなる子供達の将来は是如何に。
さて漸く駅舎を発見、そしてそのすぐ横には最初のバスから強制的に降ろされたあのLocal Immigrationが…「なんやねん!わしらたった50m進む為にこんな苦労したんかいな!」何にせよ無事にNova Gorica駅に到着。Barにてユーロも使用出来ると聞き、ここはビールを呷り列車を待つ。炎天下を延々と歩き回されし末のビールなれば、何とこの1杯のビールの美味たる事か。
炎天下の中を歩き回りすっかり疲労困憊の兄ィは「アミノ酸を補給しなくっちゃ!」と、徐ろに取り出したる味の素を口に流し込む。「ええええっ!味の素ストレートですか!?」流石兄ィ、男ですなあ。
勿論当初の予定でありし午後2時8分発の列車はとうに出ておれば、兎に角先ずはLjubljanaへ向かわんと、午後3時24分発Jesenice行きに乗り込む。列車は3番ホームから発車と告知されておれど、誰も3番ホームにはおらず、Barや売店のある1番ホームのみに人が屯しておれば、一体これは如何な状況か。列車が3番線に入って来るや、1番ホームに屯ろせし全員が、徐ろに線路を渡りて3番線へと移動、何で誰も該当ホームで待たへんねやろ?これもスロベニアの国民性か。
列車には運転席にバックミラーさえ装備されており、何とも珍妙極まりなし。
まるで関西線の河内堅上辺りを想起させる山間の川縁を道路と並走すれば、列車に無事乗り込めた安堵感からか思わずうたた寝。田畑君も流石に疲れしか爆睡。されど東君とせんせいと兄ィは眠らなかったそうで、それもその筈、彼等が座する席の近くに超ド級ウルトラ爆乳のネエちゃんが座していたらしく、もうその人智を越えたこの世のものとは思えぬ爆乳に目が奪われっぱなしだったそうな。兄ィ曰く「凄いよ。見ちゃうよ。」下車する際に、私もチラリと拝ませて頂けれど、確かにあれは「この世の奇跡」若しくは「創造主の気紛れ」としか思えぬ代物なり。あの胸の谷間に顔なんぞ埋めようものなら窒息死するどころか圧死する事間違いなし。
Jesenice駅に到着すれば乗り換え5分にて午後5時35分発Ljubljana行きの列車へ乗り継ぎ、更にLjubljana駅に到着すれば再び乗り継ぎ時間数分にて午後6時50分発Dobova行き列車へと乗り継ぐ。Dobovaは、列車にて出入国する際にパスポートコントロールを受けし駅と記憶しておれば、これにて漸くクロアチアとの国境まで辿り着ける事間違いなし。
さて今宵はきっと毎度御馴染み「International Hotel」にて投宿であろう故、部屋にてのんびりしては、ホテルのレストランにてステーキでも食するか等と、すっかり寛ぎし気分ともなっておれば、ここで突如兄ィのvodafonに、今宵我々の前座を務める筈でありしクロアチア唯一のサイケバンド7 That SpellsのギタリストNikoより電話あり。
「今何処にいる?」
「今Dobova行き列車の中、あと2時間ぐらいでZagrebに着くと思う。」
「午後10時半までに着けるなら、今夜ライヴを予定通り行う。」
「了解、DobovaにてZagreb行き列車にすぐ乗り継げれば、午後10時ぐらいにZagrebに着けると思うが、Zagreb行き列車がすぐにあるかどうかは、この車内では確認する術なし。」
再びNikoから電話あり。
「Dobovaまで車2台で迎えに行く。」
「了解。何処で待っておればよいか?」
「駅の駐車場で待機する。」
「ではDobova駅の駐車場で。」
「Good Luck!」
風雲急を告げるとはこの事か、これにて今宵ライヴが決行される事に決定、既に今宵はオフだと信じリラックスせし気分になっておれば、急遽車内にて弦を張り替え、先ずは自分の気分を高揚させんとす。今宵のライヴが決行されると知るや、メンバー全員急にその顔付もミュージシャンになるから不思議である。「よっしゃ、やったろやないけ!」
午後8時50分にDobova駅に到着。どうやら駅舎の大改築中にして、出口も判らず居合わせし警官数名にパスポートを見せれば「Zagrebへ行くのか?」頷くやこちらだと案内されるものの、それはZagreb行き列車ではないか。「友人がZagrebから車で迎えに来ている」と告げれば、どうやら列車を我々の為に待たせてくれていた様子にして、列車に出発を促せば、我々も「いやはや乗客の皆様、どうも申し訳ない」駅構内にImmigrationがあると信じておれど斯様なものはなく、駅の出口へ案内されるや、そのまま駅舎の外へ出られ少々拍子抜け。
さて駅前駐車場を見渡せども、どうやらお迎えの車は未だ到着しておらぬのか見当たらず。「何か折角待たせてくれてた列車まで行かせといて、これで迎え来いひんかったら笑うしかないで」通り掛りし警官がジェラートを食らう様を見つけるや、今や立派なジェラート中毒者となりしせんせいは、何処で購入せしかと尋ね、電光石火の速さにてジェラートを求め何処へか消え去る始末。待てどそれらしい車どころか車1台も通り掛らぬ上、見渡せどホテル1軒立つのみで何もなく、人っ子一人歩いておらぬ何とも寂れし雰囲気なれば、次第に不安感が募りし矢先、漸く2台の車が連なりこちらへと向かって来る。あれか!その車から真っ先に降り立ちしは、嬉しそうにジェラートを舐めるせんせいではないか。どうやら我々は違う駐車場で待機していたしく、もしせんせいがジェラートを求めに行かねば、はてさてどうなっていた事やら。これにて無事にZagrebへ辿り着ける運びとなれば、漸く安堵感も感じられ、一服つけしタバコの何と美味い事か。国境も問題なく越えれば、これにてクロアチアに突入、本来ならば午後3時45分にはZagrebに到着し、ライヴ前に美味い晩飯でも食らっていたであろうが、あの車掌の「Trieste」の一言のお蔭で、思わぬ14時間の大移動となれど、まあこれも今となってはツアーならではの醍醐味かと笑っておられるか。
午後10時、漸く今宵の会場K’setに到着、既に多くの客が会場の外も中も埋め尽くし、我々の到着を待ち受けておれば、大きな歓声をもって迎えられる。オルガナイザーのMateが笑顔で迎えてくれ一言「You’re so Crazy!」Nikoにもいろいろ手配して頂いた故に厚く礼を述べ、先ずはビールやらワインにて無事到着と祝杯。禁断のブルーチーズに手を出す兄ィを見て、皆で「兄ィってブルーチーズ食べれるんでっか?」「うん、美味しいよ。」軽く完食されて恍惚の表情とは、流石は兄ィ、恐れ入りました。
程なく7 That Spellsの演奏が始まれば、ステージ横にてこちらも荷物を解き準備を始める。彼等の演奏は昨年観た時よりも数段パワーアップしておれば、また新たに宇宙音担当のシンセ奏者も加わっており、全員上半身裸の暑苦しいハードサイケに、こちらも大いに熱く燃えて来るものあり。「燃えて来たぁ!やったんど!」
午後11時、一時は順延かと思われしライヴがスタート、用意されしFender Twin Reverbのしょぼさには思わず絶句なれども、今宵も満員御礼、猛烈に熱いZagrebの客なれば、こちらも大暴れにして応戦、ラストはギタ-絞首刑にて幕。アンコールは「Na Na Hey Hey」を会場一丸で大合唱。これにてこの長い1日も漸く終了。今宵のライヴの模様は、4台のビデオカメラにて収録され、音の方もデジタル16chにてマルチ録音されし。
終演後、会場入口付近に貼られしAMTのポスターの横に、何とQueenのポスターを発見、それも何ともチープな出来映え。ええっ!ここにQueenが来るんかいな!客が入り切るんかいな?先達てもLondonでは、ビル等に取り付けられし巨大広告パネルにさえQueen(with Paul Rogers)のHyde Park公演が宣伝されている程なれば、この差は何や。確かに前回此処K’setを訪れし際も、Billy IdolやらDepeche Modo等の公演ポスターが貼られてはおれど、幾ら何でもQueenは格が違うやろ。されどMate曰く「キャンセルになった」それも当然やろなあ。
今宵は7 That SpellsのドラマーStjepan宅へ投宿となれば、途中ピザ屋に立ち寄りて、漸く遅い晩飯を取れども、その不味さたるや言語道断、空腹でなければ到底口にさえ出来ぬ代物なれど、今日1日で食せしはAlexandroから頂きしランチボックスのみなれば、皆「不味ぅ~っ!」とこぼしつつも貪り食う。嗚呼、なんちゅうオチやねん。
Stjepan宅に到着すれば、7 That Spellsのメンバーや友人達も一緒になりパーティー状態にして、斯様な喧噪の中、先程の激不味ピザの口直しにと、田畑君が美味そうに啜りし雑炊を一口頂けば、あまりの美味さに感涙寸前、今日1日のあの過酷さをも忘れ去らせるか。
午前4時頃就寝。ホンマ長い日やったな、ごっつ疲れたわ…。
(2005/9/12)
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