『人声天語』 第123回「文句垂之助の欧州地獄旅(AMT &TCI 欧州ツアー2005)」#19

7月5日(火)

午前8時起床、シャワー&洗濯を済ませる。オルガナイザーManosは多忙の様子にて、午後5時に我々をピックアップし晩飯でも御馳走してくれるらしく、ならば自室にてのんびりテレビ観賞、ギリシャ版MTVに関しては、前回訪れし折に完全にあのギリシャ然たるメロディ-に洗脳されし憂き目に遭えば、今や免疫が出来ているのか、今回は然程洗脳される事もなし。ギリシャのトラッド系の男性シンガーが、ハンドマイクにて歌いつつ、片手と両足にてドラムを演奏する様には、何故スタンドマイクを使わぬのかと、素朴な疑問を抱きし、まるでChristian Vanderか。

遅い朝飯を食さんと、近所のカバブ屋に赴くや、兎に角メニューも何もかもギリシャ文字にて綴られておれば解読不能、店内にて某親爺が食するフィレステーキ定食の如き一品が実に美味そうなれど、果たしてそれがどれなのやら皆目見当もつかず、店のオバハンに英語と身振り手振りにて「あの親爺と同じものを」と注文せしつもりなれど「Σαβωψ§σ*Ωγ∞†ε¢$?」なんぞとギリシャ語にて質問されるや、こちとら全く意味不明理解不能なれば、どうせテイクアウトかどうか等と尋ねしと思い、この際もう何でもええわとばかりに「Si, si, si!」何故かイタリア語にて返事する有様。結局私が手渡されしは、自分の希望とは全く異なるマトンの串焼きサンドにして、値段は僅か1ユーロなれば今更文句も云えず、いざ食してみれば美味故に結果良ければ全て良し。

腹ごなしに近くのレコード屋を徘徊、前回もAthensがツアー最終地にして、メンバー皆で闇雲にレコードを買い漁り、めぼしきギリシャのサイケやアシッド・フォーク等も既に購入済みなれば、今回は衝動買いにて散在する事もなし。
ホテルへ戻り、クーラー全開にて昼寝、室温設定は18度なり。今回のツアーに於いては、過酷なる灼熱地獄を幾度となく味わわされれども、どうにもヨーロッパにてはクーラー全開凍える程に冷やす習慣なき様子どころか、クーラーが設置されておれど使用せぬ有様なれば、骨の髄まで冷え切らん程のクーラーの効きに、漸く己れのアイデンテティーを回復、そもそも都市生活に於いては通常4月から11月までクーラー全開な私の暮らしぶりから考慮すれば、今回のツアーに於ける灼熱地獄に対する強靭なる忍耐ぶり、我ながら賞賛に値する。あの日本の猛暑でさえ扇風機の「中」までしか使用せぬと云う「夏が好き」な東君を以てしても、このツアーの酷暑ぶりにはかなり閉口しておられれば、常々気温20度以上は辛いとこぼせし私なんぞにとって、彼の体感温度の2倍の暑さにも感ずるや。Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoは、最年長の兄ィを除けば全員同年齢にして、クロアチアの山登りと云い、この酷暑に於ける順応具合と云い、他のメンバーと比べてみれば、我ながらまだまだかなりタフなる事を再認識。長期の海外ツアーとは、強靭な精神力、若しくは何事にも動じぬ能天気さ、如何なるトラブルにも迅速に対応し得る判断力と決断力、そして風邪等引かぬようにとの自己管理力と充分なる基礎体力、これらが揃いて初めて乗り切れるものなれば、まだあと10年は大丈夫か。
ベッドに寝転がりて、ツール・ド・フランスをテレビ観戦、流石にツアー生活も1ヶ月を越えるや否や、突如かなりの疲労感に襲われるは常々にして、連日の速弾きによる左手のダメージも発症して来れば、明日の千秋楽へ向け、のんびりするのもこれまた良かろう。

午後5時、ロビーにて全員集合、結局Manosは多忙にて顔出せず、ならばと昨年より前を通り掛る度に気になりし、ホテルの近くに佇むシーフードレストランへ、所謂観光客なんぞ全く訪れぬであろうローカルな大衆食堂風情なり。ガラスケース内に並ぶ鯖を見るや全員歓喜、各自1匹ずつ塩焼きにして頂く。さて鯖が焼ける間、何やらお目に掛かりし事なきエーゲ海の貝を生で頂けば絶品、有頭海老の唐揚げやら蛸のトマトソース煮やらにも舌鼓を打ち、グリークサラダを摘みて白ワインを呷れば、気分はすっかりエーゲ海か。鯖の塩焼きは矢張り涙ものにして、頭も程よく焼けておれば少々小振り故に、躊躇なく頭よりかぶりつく。鯖の塩焼食うのにフォークとナイフなんか使ってられるかいな!

エーゲ海の幸にてすっかり満腹満足となれば、腹ごなしも兼ねいざレコード屋巡りへ。頑なに物欲を断たんとする東君なれど、昼に訪れし店にて発見せし私のお薦め2枚のみ購入すると相成れば、結局2枚も3枚も同じ事と、昨年同様ギリシャにてレコード・ハンティング解禁、結局数件回る事と相成り、更に数枚購入しておられれば、私もサイケのブートリイシューLPやらギリシャサイケLPボックス等購入。
午後8時半、ホテルに戻りクーラーの効きし部屋にてテレビ観賞、ギリシャはニュースキャスターもお天気キャスターもセクシー美人揃いにして、また大相撲中継も行っておれば、昨年も確かツアー中にて観た記憶あり、海外で観る大相撲は何とも珍妙な具合にして、随分エキゾチックに見えるのは何故か。

午後10時半、東君とせんせいと連れ立ち、この界隈の小洒落たバーへ繰り出せば、私はギリシャのブランデーMetaxaを注文、実は大のブランデー嫌いの私なれど、このMetaxaのみは例外にして、またバーテンダーの話によるとMetaxaと云えども相当種類があるらしく「No.1からNo.7まであるがどれがいい?」されどそれらが如何に異なるのかさえ存じておらねば、彼のお薦めNo.3を頂く事に。続けて大好きなアニス酒Ouzoへとチェンジ、向かいのテーブルは2人連れの男女なれども、男性の方が女性を何とか口説き落そうとする真最中にて、その様子を肴にOuzoを呷る。さて次なるバーは、看板に釣られて入りし「Rock Cafe Dr. Feelgood」店内のスクリーンではBlack Sabbathのライヴビデオが流されており、バーテンの女性も所謂メタル姉ちゃんか。表のテーブルに腰掛け、再びOuzoを呷っておれば、このバーテンのメタル姉ちゃんがRed Vokkaなる赤いウォッカをサービスしてくれるや、これがまた美味ければ、Ouzoから今度はRed vokkaにチェンジ、見事な販売促進活動なり。


結局行方不明となりしせんせいの鞄は本日届かず。明日のライヴまでには届くか否か。
かなりの酩酊状態なれば、午前2時半就寝。

7月6日(水)

午前11時半、東君からの電話にて起床。Manosがホテルを訪れ、再び午後5時に我々をピックアップに来るとか、のんびりテレビ観賞しておれば、ギリシャ版ロリータ番組「Teen Hits」にハマる始末。ギリシャも美人の産地なれど、矢張り10代から20代半ばまでと賞味期限が短ければ、それ故かローティーンでさえその妖艶さたるや到底子供と思えず。斯様に可愛らしき女の子達でさえ、いずれはシワシワデブデブになるのかと思えば、人の一生何と儚く無情なる事か。せめて年相応に格好良く年輪を刻みたきものなり。

午後12時半、土産物&レコード漁りツアー参加希望者たる田畑君と兄ィを連れ、パルテノン神殿界隈へ赴かんとす。昨年Thodorisこと通称「ナヨ君」に連れられ、レコード屋巡りも兼ねてパルテノン神殿界隈は訪れし経緯あれば、たとえギリシャ文字が読めずとも、地下鉄の駅の所在やら切符の買い方等も記憶に間違いなく、Penepistimio駅より乗車しSyntagma駅にて乗り換え、至ってスムーズにパルテノン神殿の建つ丘の麓Monastiraki駅へと辿り着く。駅を出ればパルテノン神殿を臨めれば、バザールが広がるこの界隈は観光客にて混雑しており、更にはこの炎天下、いきなりビールを呷りたし。


バザールに突入すれば、先ずはお目当ての中古レコード屋街を目指す。前回はこの界隈にて大散財しておれば、今回は買い控えんと思えども、果たして然したるめぼしき一品お目に掛かれず、田畑君と兄ィはお目当てのギリシャのアシッド・フォーク歌手のLPやCDを購入、このヨーロッパ最強とも云えるAthensの中古レコード屋街を前に、嘗て各々ディスクユニオンとモダーンミュージックにて働いておられし御二方「これヤバいで!」「お金なくなっちゃうよ!」
土産物屋を隈無くチェックされる兄ィは、どうやら馬車のミニチュアがお気に入りの様子にして「いいなあ、でも大きくて持って帰れないかなあ」陶器を見るや「いいなあ、でも割れちゃうかなあ」骨董市で見つけし自転車模型を手に取り「いいなあ、でもちょっと高いなあ」結局購入されしはエロカレンダーなり。「ハハハ、これいいよ!サイコーだよ!」

サッカーフリークの田畑君は、サッカーショップにてギリシャ代表ユニフォームを購入、それ以外にも何やらマグカップやら他のユニフォームやらと、結局サッカーグッズに散財。ここで私から素朴な疑問「ユニフォームとか買うてどないすんの?」「えっ?えっ?…あっ、あのぅ今日のライヴで着よう思って…」

歩き回れば腹も減り、この炎天下なればビールも飲みたし、ならばとレストランにて昼食とす。何やら小魚のフリッターが安価なれば、私と兄ィ2人して、小魚のフリッター2種類を注文、田畑君は肉の煮込み料理らしきを注文。この小魚のフリッター、所謂わかさぎフライの如しなれば、ビールとの相性も最高にして、エーゲ海の恵みに感謝。ギリシャ料理はトルコ料理の影響も大きく、海の幸山の幸共に豊富なれば、食に関して然したる問題もなし。何しろ海の幸が食し得る事は、何とも幸せ至極なり。


炎天下の下でのAthens土産物&レコード漁りツアーも大いに満喫すれば、午後3時半、ホテルへ戻るや、先ずはシャワーで汗を流し、クーラー全開にて仮眠ならぬ爆睡。
午後5時半、Manosが迎えに来れば、今宵の会場Biosへ貸切バスにて向かう。本来ならばオリンピック・ビーチバレー・スタジアムにて開催されるフェスティバルに出演予定の筈なれど、このフェスティバル自体がポシャったらしく、急遽振り替え公演として、昨夜と今宵の2夜に渡る「Hearing Protection Required」なるイベントが組まれし経緯なり。東君は調子良く昼酒を食らいて完全に酩酊、全くもって機能せず。せんせいの鞄は矢張り届かず、ツインペダルとスネアが入っておれば、今宵はスネアとペダルも借用。Alitalia航空曰く、鞄は明日には届くとか、されどイタリア人の斯様な寝言誰が信じ得るや。何はともあれ無事に出て来て欲しいものなり。今宵はMarshall3段積みが用意されており、更に予備のヘッドとスピーカーまで手配済みと、これぞ完璧な配慮なれば、嗚呼、素晴らしき爆音ぶりかな、これぞギタリストの本懐なり。

サウンドチェックを済ませるや、バーにて調子良くOuzoを呷る呷る、今宵はツアー最終日なれば玉砕あるのみ。

SHOPZONE社長業に燃える田畑君を除く我々は、ナヨ君に連れられ近くのレストランへ赴けど、用意されし席がビルの屋上にして、照明器具が少なければあまりに真っ暗、メニューを読むなんぞ至難の技にして、ナヨ君が一品ずつ御丁寧に説明してくれておれど、結局は無難に皆で海鮮パスタを注文、またしてもエーゲ海の幸なり。矢張りギリシャも他のヨーロッパ諸国同様に、注文して30分経過すれども未だに何も出て来る気配なく、我々ワインを飲むばかり。さて漸く海鮮パスタが運ばれて来れば、あまりにテーブル上さえ真っ暗闇故に、一体何を食しているのかさえ判然とせず、これでは全く「闇パスタ」状態なり。パスタがオーバーボイル気味なれば、決して美味とは云えず。

さて会場へ戻れば、即刻開演時間と相成る。客入りは満員御礼、今宵は本来Merzbow + Stephen O’Malleyの出演も予定されておれど、何と飛行機が飛ばぬと云うアクシデントにてギリシャに着けずキャンセルとなれば、我々のワンマンとなれど、先程の海鮮パスタが運ばれて来るのに時間を要し過ぎておれば、御蔭で開演時間も30分押しにして、演奏時間も今や1時間半を残すのみ。例によって「Pink Lady Lemonade ~ OM Riff」の2曲のみなれば、全身全霊を注ぎ完全玉砕体勢にて大爆音&大暴れ。田畑君は公約通りギリシャ代表のユニフォーム姿にて登場、更には今やすっかり自分のスタイルに昇華されしOzzy宜しくVサインも連発、観客もこれには大いに狂喜しておれば、眠れるロックスター魂、遂にその封印が解かれたか。演奏途中に時折ゲロが口の中まで戻って来る有様なれば、これはもういよいよ体力の限界点を越えんとするか。アストロ魂ならぬAMT魂とでも云うべき精神力のみにて、何とか最後まで演奏、ラストはギターにチョークスラムにて幕。アンコールは恒例「Na Na Hey Hey」の大合唱。

終演後、全くもって動く事さえ出来ず、矢吹丈宜しく完全燃焼「…燃え尽きたぜ…真っ白だ…」今や体力も気力も全て潰えれば、まさしく廃人状態、河端一機能停止。
貸切バスにてホテルへと戻れば、今回のツアーに於いてSHOPZONE社長兼勘定奉行を見事務め上げたる田畑君の最後のお務め経費清算も是にて終了。最早アルコールを口にすれば憤死するやもしれぬ体調なれば、ホテルのロビーにて何とオレンジジュースの杯を掲げ「お疲れさま!」これにてAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoによる初のヨーロッパツアーは全日程無事終了。
午前3時半、自室に戻るや、クーラー全開にして即寝成仏永眠5秒前。

7月7日(木)

午前9時起床、シャワー&洗濯を済ませる。全身そこはかとなく怠痛ければ、何処か張り詰めし精神の緊張も途切れしか、未だ体を動かす余力もなく、これもツアー終焉に伴う反動の如きものか。されど未だフランスやイタリアにて仕事が残っておれば、これも束の間の休息でしかない。
ホテルの部屋にて東君と2人、ツアー打ち上げ「お疲れさま」の昼ビール。次は6週間に及ぶ秋のアメリカ・ツアーなれば、この夏の間に体力作りなんぞしておかねば、到底ツアー最終日まで持ち堪えられぬであろう、いやはや歳はとりたくないものなれど、自らの衰えを自覚し対処する事こそ親爺ロッカーの命題たらん。
せんせいの鞄は未だ行方不明のままにして、矢張りAlitalia航空は適当にその場凌ぎの言い逃れをせし模様なり。

午後12時半、鞄探しに奔走するせんせいを除くメンバー3名、東君、田畑君、兄ィに「じゃあまた日本で!」と見送られ、タクシーにて独りAthens空港へ。車内禁煙の表示あれども、その運転手が何とも美味そうに煙草を吸うておるとは、一体どういうサービスなのやら。

Athens空港に到着すれば、私のフライトAlitalia航空午後3時20分発Roma行きは、何とキャンセルの表示、おいおいおい頼むでぇ、こないだもここAthens空港でキャンセル食ろうて、挙げ句の果てに極寒氷点下のVenezia Mestre駅で野宿する羽目になってんど!振り替え便Olympic Airlines午後5時5分発Roma行きのチェックインも済ませ、外へタバコを吸いに出れば、何やら顔に見覚えのあるパナマハットにアロハシャツの男性が…その男性とは元BauhausのヴォーカリストPeter Murphyなり。こちらがギターを抱えておれば「もしかしてAcid Mothers Temple?」と話し掛けられ、そのまま歓談。本来我々の出演が予定されしフェスティバルに共に出演する筈なれば、彼は一昨日我々と同じ会場にて振り替え公演を行い、さて今からイタリア・ツアーへ赴かんとすれば、私と同じくキャンセルの憂き目に遭いしとか。私が彼を観たのはBauhausの82年初来日の折なれば、今やその彼もすっかり初老の紳士なり、況してパナマハットにアロハシャツなる出立ちなれば、ゴシック界のカリスマにして暗黒の帝王と呼ばれしそのイメージから程遠し。されどBauhausにて今冬辺りに再来日の予定とか。「いつでも連絡してくれ!」とメルアドなんぞ頂けど、ゴシック界の帝王Peter Murphyと私とでは、音楽的に共鳴し得る処なんぞあるのやら。今や欧米にてゴシックのリバイバルブームが騒がれて久しければ、是を機に耽美派にでも路線変更し、生き残りの道を探らんとするか。無理やな…。

さてその頃、田畑君と兄ィは、明後日には此処Athensより成田への帰国便に搭乗するにも関わらず、日本食を求めて地下鉄17駅分も乗り継ぎ、漸く「Best Sushi in Athens」なる名前からして眉唾の日本食レストランへ赴けど、注文せしカレーは何と冷めておれば、その言語道断の不味さと、そこへ到るまでの苦難多き道程の前に、見事ツアー最後を飾るに相応しき轟沈を果たせしとか。御愁傷様…合掌。

Acid Mothers Temple & Ther Cosmic Infernoの欧州珍道中記もこれにて幕。
後日談として結局せんせいの鞄は帰国後1ヶ月以上を経て漸く日本へ到着、されどいざ鞄が届くや、何と鞄の取手部分が別の物に変わっておれば、成る程鞄の破損に関する責任追及と補償問題から逃れんと、Alitalia側で鞄を勝手に修理せしか。一方東君の鞄も、中部国際空港にて受け取りし際に破損していたとかで、こちらはAir Franceなれば修理代金として15000円を東君に支払いしとか。

最後にひとついい話。長きに渡るツアーよりの帰国に際し、今やすっかり襤褸襤褸となりし身成なれば「帰国する時ぐらい綺麗な格好せな、日本着いたら恥ずかしいなあ」等と話す中、愛妻家の兄ィ曰く「奥さんの為に、俺は汚れて帰ってあげたいよ」流石兄ィ、ええ言葉でんなあ!

(2005/9/26)

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