『人声天語』 第123回「文句垂之助の欧州地獄旅(AMT &TCI 欧州ツアー2005)」#6

6月11日(土)

午前9時半起床。朝飯は、昨日の冷や飯を軽く炒めて温め直し、レトルトカレーと合わせてのカレーライス。

何しろこちらの米は、炊く前に幾ら洗った処で、冷めると特有の臭さを発し途端に不味くなる故、何とか温め直してその臭みを緩和せねばならぬ。レトルトカレーもそろそろ食い飽きておれば、まあ丁度残す処1袋にして、ならばこの1袋は忘れし頃のキラーアイテムとして当分封印する事にす。せんせいは、昨夜のケータリングのチーズとハムを冷や飯と炒め合わせ、見事ドリア擬きを作り上げ、彼のスマックダウン・アイテムたるウスターソースを添えて頂いておられる。味の方は「なかなかイケる!」との事なれど、ハムもチーズも苦手な私には到底食えぬ代物か。

そう云えば今までのツアーに於いて、ウスターソースを持参せしメンバーは、実はせんせいが初めてなれば、矢張りこれも大阪人の哀しい性か。確かにウスターソースは無敵アイテムのひとつに数えられれば、私の実家にてもウスターソースの消費量はかなりであると思われる。豚まんやら焼売を食らう際にも、我家では必ずウスターソース+辛子で食するが常なれど、名古屋に移り住みてみれば、誰も斯様な食し方はせぬどころか、まるで気違い扱いされた挙げ句「それは絶対ない!」と、何とも肩身の狭い思いを強いられ続けたのであるが、せんせい宅も田畑君宅も我家同様、豚まんや焼売はウスターソース+辛子だと聞き知るや、初めて我家のみの奇習にあらざると知った次第。豚まんと焼売は、絶対にウスターソース+辛子の方が美味なり。そもそもウスターソースは「外国のもん」と思い込みがちなれど、海外の食卓にてウスターソースを見受ける事皆無なり。精々ブラッディーマリーを作る際に見掛ける程度にして、そもそも料理の隠し味に用いられる事が多いらしく、日本の食卓の如くウスターソースが常備されているなんぞあり得ねば、ならば何故日本人、特に関西人は斯様にウスターソースを好むのか。ウスターソースとは、そもそもイギリスのWorcestershire地方発祥のソースと云う事らしく、元祖ウスターソースであるLea and Perrinsブランドの逸品は日本に於いても有名なり。されど日本のウスターソースは、これまた日本人の恐るべき加工能力により、全くオリジナルな別物として生まれ変わり、今や所謂ウスターソースのみならず、とんかつソースやら中濃ソース等にまで派生する程の「ウスターソース文化」を築き上げておれば、和製ウスターソースもまた日本固有の調味料と認識して差し支えなかろう。明治期に所謂洋食なるカツレツやらコロッケが食されるようになりし際、醤油に代わり英国製ウスターソースを掛けて食せども口に合わず、日本人の口に合うようにと甘めに改良されしが、このウスターソース文化の起源と思われる。またウスターソースには、揚げ物の油っぽさを緩和する効果もあるとかで、西洋人の如くグリーシーな仕上がりの揚げ物料理を好まぬ日本人ならではの理由も推察され、和製ウスターソースは英国産に比べ随分甘ければ、これも料理に於いて「甘辛い」味が一般的なる日本ならではか。ヨーロッパ等に於いて、料理に砂糖を用いると云えば、怪訝な顔をされる事間違いなく、勿論甘みのある料理は色々あれど、それらは大抵野菜や果物の甘みを利用するに留まれり。関西人が関東人より甘めの味付けを好む事を考慮すれば、関西にてウスターソース文化が開花せし事も大いに頷けるであろう。

東君は、冷や飯に納豆ふりかけと醤油を炒め合わせての納豆炒飯、されどあのクソ不味い野菜ジュースを飲みて即死寸前。

兄ィは、先ず冷や飯を炒め、そこに練り梅を添えておられ、更にもやしスープも作りては、例によって我が道を邁進、必ず栄養バランス等を考慮されている辺りは、流石現役主夫たる所以か。田畑君は、どん兵衛のきつねうどんに、キラーアイテムたる梅干を放り込みて頂いておられれば、何と至福感溢れる恍惚の表情をしておられる事か。


洗濯&シャワーを済ませ、フライト仕様から列車移動仕様にパッキングし直す。

昼飯は、お待ちかねの塩サバ定食なり。再び米を炊き、さてフライパンにて鯖をアルミホイル包み焼にすれば、皮も剥がれず手軽に程よい焼け具合となれども、残念ながらアルミホイルが見当たらず、ならばとフライパンに蓋をして蒸し焼きにすれば、矢張り少々身が緩くなりて崩れてしまえば見た目は少々悪くとも、されどこの魅惑の香りのみで既にイキそうなり。御飯+塩サバ+味噌汁+ちりめん山椒、勿論おろし金を携帯しておれば大根おろしも添え、この美味さが誘う至福感は到底筆舌に尽くせぬ。東君共々塩サバ定食を満喫、嗚呼、これこそ私の日常食なれば、全身の細胞が歓喜の雄叫びを上げている様をひしひし実感。それにしても鯖とは何故斯様にも美味なるか。望郷の念一層強くなりにけり。

御見送りのSandro共々、徒歩にて駅へ向かう。スイスのブッキングは毎度Sandroが担ってくれておれば、此処Dachstock ReitschuleとGenevaのクラブKab Usineは多分何らかの形で提携しているのであろう、最低この2カ所がブッキングされるは常なり。
Sandroは毎回我々のGenevaへの到着時間をKab UsineのオーナーDamianに連絡してくれる運びとなっておれば、本日もSandroがDamianに我々の列車の到着時間を連絡してくれるとの事、是れ既に確認済み。
さてGenevaへ向かわんと、午後3時4分発Lausanne行きICに乗車。当初我々はもう1本後のGeneva行きにしようかと思っておれど、Sandroが「どうせLausanneで乗り換えだからLausanne行きに乗った方がいい」と云い張り、はて何故Geneva行きであるにも関わらずわざわざLausanneにて乗り換えねばならぬのか全く理解出来ねば、Sandroが何やら地名らしきを田畑君に語っておれど、田畑君がどうやら聞き取れておらぬと推察せしか「Martigny」とのみ記したメモを渡せし。されど我々はそのメモの意味が全く理解出来ず、多分LausanneにてそのMartigny行き列車に乗り換えればよいのであろうと然して気にも留めず。Lausanneに到着してみれば、向かいのホームにそのMartigny行きの列車が停まっておれど、どう見てもGenevaに行くとは思えぬ塩梅にて、駅員にこの列車はGenevaに行くのかと尋ねれば、矢張りGeneva行きの列車にあらず、ハーディガーディー奏者が演奏する地下通路を潜り抜け、違うプラットホームに停車せしGeneve行きに無事乗り換えを果たす。Sandroが何故Martigny行きに乗り換えるよう説きしか、未だ全くもって理解出来ぬ我々一行なり。されど誰も気にする訳でもなく、何とも能天気極まりなし。
Geneva駅に午後5時5分到着、いつもの如く迎えを待っておれど、いつまで経っても来る様子なく、Kab Usineに電話すれど応答もなし。Kab Usineなら幾度も伺っておれば道順も覚えており、然程遠き道のりでもなければ、ならばいざ徒歩にて行かんとせし刹那、通り掛りのドレッド女性に「Acid Mothers Templeのメンバーですか?今から列車で行くのですか?」と尋ねられ「は?今から歩いて行こうかと…」と答えるや「えっ!歩いて?(苦笑しつつ)今夜×▲#◎*(聞き取り不能)で会いましょう」笑顔を残し足早に駅構内に消えれば、はて列車でとは一体如何なる意味か。まあ何はともあれKab Usineへ向かい歩みを進めんとすれば、今度は田畑君がアメリカ人男性に今夜何処で演奏するのかと尋ねられている有様、はて今宵のライヴの宣伝はされておらぬのか。
さていよいよ駅を後にし刹那、ふと先程のドレッド女性の発せし言葉が頭の中にてリプレイされれば、果たして聞き取れなかった一節とは「今夜Martignyで会いましょう」ではなかったか。MartignyこそSandroが渡せしメモの地名にして、Genevaとは全く異なる方向なればこそLausanneにて乗り換えせねばならなかったのではなかったか。電撃的に全てが解明されたように思えば、足を止めその旨を皆に話す。されどここで謎となるは、今朝例によって到着時間をDamianへ伝言するようSandroに頼みし際、彼はOKと別段何も不思議がっておらねば、矢張りKab Usineなのではとの疑念も生じるは当然、先ずはブッキングの全貌を掌握する彼に尋ねるが事実掌握最善の方法なれど、明け方までDJしておれば今は当然就寝中なのか、無情にも電話は通じず。先程田畑君に尋ねしアメリカ人が再びやって来ては、近くのレコード店に行けば、ライヴ情報の某かを入手し得る筈と語るや、ここは僅かな情報さえ欲しい処なれば東君が同行。私はiBookを取り出し、今一度 Sandroから届きし全メールをチェック、よくよく見れば不覚にも「BernとMartignyと2カ所にてブッキングした」の一節を読み飛ばしておれど、クラブ名も住所も連絡先も何も記されておらず。毎度Sandroを信頼し切っておれば、こちとら勝手に2公演ならばDachstock ReitschuleとKab Usineだと思い込みし始末にして、改めて会場の詳細資料等も請求しておらねば、こうなると「今夜わしら何処で演奏すんねやろ?」
結局何の手掛かりも得られぬまま東君もレコード屋から帰還、こうなれば先ずは一旦駅へ立ち戻り、兎に角Martignyへ向かうしかあるまい。先程のドレッド女性が「えっ!歩いて?」と苦笑せしも、「今夜会いましょう」と列車に乗らんと駅構内へ消えて行きしも、今となっては全て納得いくものなるか。されどもしあのドレッド女性に出逢わなければ、我々は何の疑念もなしにKab Usineへ向かっていた筈にして、超へヴィー級荷物を携えこの炎天下の中を約30分程歩いた挙げ句、Damianを始めとするKab Usineの連中に「はあ?お前ら何しに来たんや?」と笑われるならば未だマシにして、扉が閉ざされておれば、その前に座り込みて只々誰やらが来るを待つばかりではなかったか。勿論その際には、たとえそれからMartignyへ向かいしとしても、果たして今宵のMartignyでのライヴは行えしか否か、何はともあれあのドレッド女性に感謝。

さて駅構内へ戻りMartigny行き列車を時刻表にて調べんとするや、今度は金髪女性より声を掛けられる。「Acid Mothers Templeですね?」Geneva在住の彼女は、何と今宵のライヴポスターのデザイナーだそうで、丁度私用にてLausanneへ行かんとするや、電話にて「Geneva駅付近ニテAMT一行ヲ発見、サレド大イニ彷徨ノ様子ナレバ、至急救出ニ向ワレタシ」の如き連絡を受けしとかで、地獄で仏か渡りに船か彷徨う阿呆は女を掴むか、兎に角彼女の手引きにて午後6時36分発の列車に乗車し、これで何とかMartignyへ向か得る事と相成れり。それにしても斯様な状況に際した処で、誰も怒りもせねば不安がりもせぬAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoの面々、果たしてド阿呆なのか大人物なのか。もしもここに時間に対し小心者且つイラチの津山さんが居合わせたならば「ボケェ!何でちゃんと確認しとかへんねん!」斯様な不始末に対し大激怒大憤怒していたであろう事は明白なり。「なるようにしかならんし、まあどうせなんとかなるやろ」これは私と東君の逆境に於ける口癖なり。今まで如何なるアクシデントと遭遇せしども、キャンセルなんぞ滅多になければ、常に最後は何とかなりし故からか、今や妙な自信さえ持ち合わせる始末。せんせいの口癖「選ばれてます」まさにその通りか。列車を待つ間に缶ビールさえ購入し、「これで今宵ももう大丈夫」と、車内でのんびりビールを呷る我々に、彼女は一体何と思いし事やら。
されど我々にはもう一つの問題が勃発。そもそも今宵はGenevaにてライヴと思っておればこそ、明朝一番にGenova空港よりオーストリアはViennaへフライトなれば、たとえ朝一番の列車にてでさえ、果たしてMartgnyよりGenova空港へ定刻までに辿り着けるのやら。我々のフライトは午前7時過ぎなれば、午前6時には空港に到着しておらねばならぬが、Lausanneからでさえ空港までは約1時間弱を要すれば、この金髪女性に伺いし処、MartgnyからLausanneまでは更に約1時間弱、多分斯様な早朝に列車は未だ走っておらぬであろうとの事。ならばせめてLausanneまで車にて送っては貰えぬかと、この女性の携帯電話にて今宵のオルガナイザーにアレンジを依頼すれど「You are so crazy!!」一応車の手配を試みるとの事なれど確約には至らず。それでも尚我々一同「これでまあなんとかなるやろ」と、既に余裕さえ出て来る始末なり。そもそもLausanneにて私用ありし彼女は「See you in tonight」と途中下車、そして列車はいよいよ山深い田舎へ。

午後8時過ぎにMartigny駅に到着、迎えに来た車に荷物を積み、オルガナイザーの1人の先導にて徒歩で会場へ向かえば、牛頭の彫像なんぞも見掛け、何とも「サタニックな街」とはせんせいの弁。

今宵の会場Les Caves Du Manoirに無事到着、心配せしスタッフ達より笑顔にて迎えられ、先ずは夕飯と案内されれば、先程Geneva駅にて会いしあのドレッド女性は、何とここのスタッフであったか!「I’m very glad to see you again!」と改めて挨拶すれば大笑いされる始末。何でも彼女は、此処Martgny出身にして現在Geneveの大学にて社会学を学ぶ学生だとかで、毎週末帰ってきては、ここでスタッフとして働いているらしい。出されし赤ワインは、ワイン作りを生業とする彼女の御両親が作りしものとかで、おおっ!ワインセラーの娘であったか。どうやらGeneva駅にて我々と遭遇せし彼女が、矢張り不審に思いここのスタッフに連絡、それがあの金髪女性デザイナーに救出指令を発せし経緯となりし様子。ならばもしこのドレッド女性と会っておらなければ、今宵ここにこうして無事に辿り着けておらなかったと云う事か。恐るべき奇遇にして何と云う悪運の強さかな。

さて出されし晩飯は、サラダ+スパゲッティーなれど、スパゲッティーが哀しいかなオーバーボイル!メンバー全員口を揃え「絶対自分で作った方が美味い!」私が知る限り、麺のコシなんぞにこだわるは、精々日本人とイタリア人のみなれば、そもそもイタリア以外にてアルデンテなんぞ求める方が間違いなり。


ここで何とKab UsineのオーナーであるDamianと再会。「何でお前ここにおんねん?」彼は今宵ここに自分のレーベルのCDを販売しに来ておれば、道理でSandoが何も不思議がらなかった筈か。Damianは今宵のライブを録音して自分のレーベルから出したいとかで、録音機材一式も抱えて来ておれば、ほなら何で自分の店Kab Usineでブッキングせえへんかってん?
ここはカウンターで働く女性も美人揃い、女性客もなかなかいい感じなれば、思わず大いにテンションも上がり、酒棚にてパスティスを見つけるや、今宵こうしてここに辿り着けし我らが強運に乾杯!もう後は野となれ山となれじゃ!人生行き当りばったり出たとこ勝負!

AMT心得の条
我が命我が物と思わず
如何なる窮地に陥るも
みだりに狼狽する事なく
ご下命いかにても果たすべし
なお
死して屍拾う者なし!死して屍拾う者なし!

前座のバンドも終われば、午後11時半に満員御礼の中、いよいよライヴ開始。本日はツインドラムの位置を左右入れ替えし試みなり。昨夜アンプのトラブルにて泣かされたリベンジとして先ずは即興にて1曲、そして「Pink Lady Lemonade ~ OM Riff」へ、そして最後はギター絞首刑にて幕、最前列のヒッピー親爺共は、まるで何か憑意せしが如きに踊り狂いにけり。終演後はDJによるテクノナイト、テクノのマシンビートに合わせて老若男女入り乱れ踊り捲るは、今やヨーロッパを象徴する情景か。ライヴですっかり燃え尽きしか、それとも単なる飲み過ぎか、残念ながらダンス好きの東君は、楽屋にて明日のジョー状態なれば此処は捨て置く。

さて懸念せしGeneva空港までの移動については、何とここから遥々Geneve空港まで車2台にて送ってくれるとか、何とも有り難い事この上なし。感謝感激雨霰!オルガナイザーの話では、終演後に我々を迎えてのパーティーを別会場にて予定していたらしいが、それはまた次回にと云う事で、午前3時半、車2台に分乗しMartgnyを後にする。

6月12日(日)

午前5時半、2時間のドライブにてGeneve空港到着。彼等は徹夜にて往復4時間のドライブとなれば、本当に感謝して余りある。我々のフライトはAustrian Air午前7時10分発Vienna行き、チャックイン開始まで待機、全員流石に眠けれど、ここで眠りて乗り損じようものならば、Martgnyから運転してくれし彼等の好意さえ踏みにじる結果となり、それこそ大馬鹿者にして人間失格、何とか代わりべんたんで起きては、チェックイン開始を今か今かと待つ。午前6時半には無事チェックインも済ませれば、せんせいが免税店にて漸く御用達のタバコRothmansを発見、この好機逃さじと2カートンを購入されておられる。スイスフランの小銭消却の為、皆でコーヒーとパンにて朝食、ここでも食に於いて我が道を貫かれる兄ィはサンドウィッチを貪っておられれば「野菜食べないと…」兄ィ、ごもっともです。睡魔と激闘しつつも搭乗ゲートにて待っておればこそ、搭乗するや否や即寝成仏。

午前9時過ぎにVienna空港に到着。今宵はフェスティバル「Ruin Festival」に出演なれば、フェスティバルのスタッフが迎えに来てくれており、彼の車とタクシーにて先ずホテルへ、されどホテルが4名で予約を入れられておれば、1人は別場所に投宿となるらしく、誰かの家ならばきっと自炊出来るであろうと云う理由から、東君が別場所投宿を志願。
午前11時半にサウンドチェックの為の迎えが来るとかで、取り敢えず荷物をホテルのフロントに預け、猛烈に空腹なればレストランを求め皆で近辺を散策、されどヨーロッパはキリスト教(カトリック)故に、日曜日は殆どの店が休業しておれば、時には1軒のレストランを探す事さえ困難を極める場合あり。それでも我々が「日本食とまでは云わへんから、せめて中華料理でも食いたいなあ」なんぞと語っておれば、「Go Go Girls」なるストリップ劇場を見つけし兄ィ曰く「俺はこっちの方が興味あるよ」流石兄ィ!参りました。

路上にてYoshie Ichigeなる女性の公演ポスターを発見、勿論「最も奥さんにしたい女優」として有名なあの市毛良枝とはまるで別人にして、そもそも果たして日本人なのかさえ怪しければ、何とも胡散臭い事この上なく、一体このYoshie Ichigeって何者やねん?

漸く1軒の営業しているレストランを発見、この際選択肢は他に見当たらなければ、ここにてビール+サラダ+カツレツをオーダー、かなりのボリュームなれどカツレツと云うよりは唐揚に近いか、されどそこそこ美味にて取り敢えずは満足。酢が嫌いな東君はサラダドレッシングにギブアップ、酢は体にええねんで。

ホテルロビーよりサウンドチェックへ向かうべく、フェスティバルのスタッフが迎えに来れども、会場はすぐ近くだからと、機材のみならず須らく荷物全てを携えさせられ徒歩にて向かう羽目となる。ヨーロッパならではの石畳に泣かされれば、そもそもホテルには既に辿り着いているにも関わらず、何故未だチェックインさせてくれぬのかと、無性に腹も立って来るものなり。チェックインさえ出来ておれば、必要な物のみ携えればよいものを、何と云う要領の悪さと云うか頭の悪さたるか。ヨーロッパ人の云う処の「すぐ」「近い」なんぞ絶対信用しておらねば、「5分」と云われれば間違いなく「10分以上」にして、案の定ホテルからはかなりの距離。お前ら、クソ重い荷物持ってるわしらの気持ち、全くわかってへんやろ!このエゴイストが!ヨーロッパ人は個人主義者ならぬ利己主義者で満ち溢れておれど、そもそも頭の悪い事明白なれば、今更怒った処で仕方なし。
更に会場Cabaret Renzに着けば、昨夜パーティーがありしとかでド汚い事この上なく、未だアンプやドラムも届いておらぬどころか、PAさえ組み上がっておらぬ始末。「おちょっくとんか、お前ら!わしらは入りが正午やって聞いたから、わざわざ朝早いフライトで来てんねんど!この糞オーストリア人がぁ!」昨日からの一件にて既に疲労困憊、更に明日のイタリアMessa Carraraにての投宿先や列車の時刻表も未確認のままにして、そもそも「Messa Carraraって何処やねん!地図にも載ってへんやんけ!」と云う塩梅なればストレスが蓄積される事極まりなく、こうなればホテルに戻りてチェックインせんと、この際フェスティバル側の段取りがどうであろうと一切無視し、機材以外の荷物を携え、客席にて爆睡中の東君のみを残し再びホテルへ。何事もなくチェックインし得れども禁煙4人部屋。私のiBook、志村さんのPCを電話回線にて接続せんと思えども叶わねば、フロントにて近所のネットカフェの所在を尋ね、いざネット接続へと出動。明日の投宿の件、未だ返事なけれども、取り敢えずMessa CarraraがGenovaからRomaへ向う途中にある事のみ判明、明日の列車の時刻表もネットにてチェック。

一旦会場へ戻れば、機材も到着しておりサウンドチェック。ステージの幅が狭い上、エンジニアがアンプやドラムセットを動かすのを妙に嫌がる故、既にセットされている状態をアレンジするしか術もなく、ステージ前フロアにて私と兄ィと田畑君が、ステージ上にてせんせいと東君が陣取る変則的レイアウトなれば、思わず「エド・サリバン・ショーみたいや!」今宵はフェスティバル故に多くのバンドが出演するらしく午後5時開演にして、AMTはヘッドライナーなれば、我々の演奏は午後9時45分から午後11時15分までとか。日曜日は客が早めに帰路に着く故、確かに程良い時間帯であろう、我々も睡眠不足にして疲労気味なれば、終演時間が早い事は何より喜ばしい限り。
サウンドチェック後、フェスティバル関係者である写真家の要請にて、会場表にてフォトセッション、せんせいのみ早々にホテルへ戻ったかして居合わせず、まあフォトセッションなんぞどうでもええので、写真家には黙って残った4人にて適当に済ませる。この写真家のリクエストが「シリアスに!」と云うものなれど、一方で兄ィに「その椅子を持ち上げて!」これやったらどう見てもアホなバンドにしか見えへんやろ、この写真家の考えている事さっぱりわからへんわ。これが芸術云うもんかいな?「芸術」とは何とも胡散臭い言葉なり。自ら「芸術家」だの「アーティスト」だのと名乗る輩なんぞ、絶対に信用出来ぬは当然の理なり。況してや昨今の「アーティスト」たる語の氾濫ぶりには思わず失笑、所謂J-POPのカス共でさえ「アーティスト」らしければ、今やこの「アーティスト」ってどう云う意味やねん?間違えても「アーティスト」なんぞと呼称されたくもなければ、所詮我らは「人間の屑」が妥当な処か。

道を歩いておれば、これまた珍しい電球犬を発見。動物愛護もクソもあるか!大自然とは斯くも残酷にして無情なり。犬の肉は美味いねんど!この素晴らしいディスプレイに思わず拍手喝采。これこそ芸術ちゃうんかいな。

再度ネットカフェへ立ち戻る。ネットカフェと云うよりもディスカウント電話センターにして、海外ではよく見掛けるもの、国際電話やネットが格安で使用出来る、特にアラブ系アフリカ系移民の多い地区に軒を並べるか。Messa Carraraのオルガナイザーに電話すれば、何と英語が殆ど話せぬ故、こちらも片言のイタリア語を駆使せねばならぬ羽目となり、イタリア語+英語とかなりコミュニケーションには苦戦すれども、何とかMassa Carraraへのディレクションは判明。されど距離的には丸1日を要するであろうとの事、ならば今度はライヴ前日である明晩にMessa Carraraに着いた場合、果たして我々の投宿先はアレンジしてくれるのかと云う事を訊ねども、如何せんイタリア語+英語の奇妙な会話となっておれば、僅かこれだけの事を伝えるにも5分以上を要し、漸く理解してくれしと思いきや、さて返事は「明日もう一度電話してくれ」おっと、忘れてはならぬ、こいつはイタリア人やった…迂闊に彼を信用なんぞして、仮に明日Messa Carraraに赴いた処で、駅にて会うや「泊マル場所ガイルノデスカ?Mamma mia!!」「なにィ~!お前昨日電話で何を聞いとったんじゃあ!」「ワタシハ英語ワカリマセン」「ボケかぁ~っ!百回死んで来い!」なんぞと全く不毛なるオチにして、精々急場凌ぎで友人宅なんぞに預けられ家人に疎まれるが関の山か。ここは空かさずPadovaに住むSillyboy Entertamentの主宰者にしてJenifer Gentleのマネージャーである通称大マルコへ電話、彼は大いに信用出来るイタリア人故、いきなりで申し訳ないが明晩投宿させて貰えぬかと打診すれば即答にてOKとの事、これにて明日の投宿先も無事確保。明日の目処が立った事もあり安堵せしか、さてまた昨日からの疲れもありてか、ホテルへ戻り洗濯を済ませ、皆で仮眠。

午後8時、皆を起こし会場へと戻る。
夕食は会場内の仮設レストランにて、メニューはこの2daysのフェスティバル「Ruin Festival」に出演しているDJ某の手による2品なれども、大根とじゃがいものシチュー+ブラウンブレッドは売り切れ、残されし品は人参とオレガノのスープ+トルコパンなれば、遅がけに訪れし我々に既に選択の余地もあろう筈なく、自ずから後者となれどもトルコパンは売り切れ、忌まわしくも大嫌いなブラウンブレッド。それにしてもあまりに酷い食事なり。何が哀しゅうて噛まへんでもええ晩飯やねん、これは病院食か!こんなもん食うてて、ようあのデカい図体を維持出来てんなあ、あのクソ毛唐共。味のないぬるいスープを約10秒で完食「不味過ぎると言っても過言ではないですね~」これも所謂ベジタリアン料理なれば、糞ベジタリアンのボケ共が、それでなくとも不味いヨーロッパ料理を更に不味くしているのではなかったか。ホンマあいつら皆殺しじゃ!ボケェ!

さてSHOPZONEを拡げれど、ここ最近売り上げは大いに不振を極め、自分の約10年間に及ぶ海外ツアー経験に於いて、これは最低の売り上げペースなれば、今や期待感さえなし。それでも社長田畑君は大いに燃えておれど、蓋を開ければ案の定閑古鳥、空調がない為猛烈にクソ暑い会場内にて、ただ座っておれども汗が滝の如く流るるなり。合言葉「No Hope!」も、今日ばかりは妙に空しく響き渡れり。

午後9時45分、漸く我々の出番と相成る。ドラムセット1台はステージ上に、1台はステージ前フロアに組んでおれば、フロアの方のドラムセットに座りし兄ィ、よくよく見ればステージに腰掛けドラムを叩いておられる。せんせい曰く「世界で一番デカいドラム椅子や!」「兄ィ、ドラム椅子にシンセやアンプ置かせてもらってすみません」とは東君の弁。客は今宵も大入り満員、例によって「Pink Lady Lemonade~OM Riff」のセットなれど、中間部にて超高速ジャズ的即興を展開、流石God Speedの異名を取るせんせい、超高速のライド捌きは圧巻、これがなかなか面白い結果を生み、飽き性の私なれば既に少々食傷気味となりし最近のセットに新境地発見か。ラストは恒例となりつつギター絞首刑にて幕。主催者側から10分間のアンコールを要請され、「Na Na Hey Hey(ハードコア・バージョン)」にて終演。

終演後、久々にSHOPZONEも大いに賑わえば、兄ィのセールストークも炸裂、手応えも充分なるか。我々の後はiBook1台にてのDJ、何とiTune内の曲をプレイするのみなれば、「遂にDJがレコードも持って来いひんでええ時代になったんか?」と、パスティス片手に眺めておれど、どうやらこれは客の御見送り担当であったか。

午前1時ホテルに戻り、湯船に湯を張り浸かれば、嗚呼、これぞ極楽天国なり。湯上がりに永谷園のお吸い物を一杯、嗚呼、これは美味なり。明朝は6時半に迎えに来てくれるとかで、ささやかな至福感とお吸い物の松茸の残り香に包まれつつ、午前2時就寝。

(2005/8/28)

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